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アンソニー・トゥー『サリン事件の真実』新風舎

 著者はアメリカの科学者であり、毒物、化学・生物兵器の専門家です。
 そのため、本書は松本サリン事件・地下鉄サリン事件を科学の視点から述べており、科学の知識、それもその方面(毒ガス)の知識がないとちょっと厳しい。一つ引用してみます。

 松本で使われたサリンは三塩化リンから五ステップで精製され、最終的に高純度のサリン製造に成功している。一方、東京地下鉄に使われたサリンは一歩手前のジクロロメチルホスホン酸からつくったので、一晩で急造された。(P85)

 おわかりいただけただろうか? もちろん、わかる人にはわかるんでしょう(私はわかりませんでした)。
 ともかくも、本書は飽くまで科学の視点で書かれているので、「なぜ事件は起こったのか?」「宗教的意義は?」「社会的背景は?」などといった、いわゆる文系的な疑問には答えてくれない。もちろん科学も一面の真実であることに違いはありませんが、上記のような疑問をお持ちの方は他を当たるべし。

【参考文献】
アンソニー・トゥー『サリン事件の真実』新風舎

西村誠『家康が毒殺した10人の武将』双葉社

 本書において、徳川家康が毒殺したとされる10人は以下の通り。

・堀秀政
・豊臣秀長
・蒲生氏郷
・前田利家
・黒田官兵衛
・結城秀康
・真田昌幸
・加藤清正
・池田輝政
・浅野幸長

 ただし、家康が毒殺したという証拠も証言もなく(※)、著者(西村誠)の推測だけで筆を進めています。
 前田利家、黒田官兵衛、真田昌幸は高齢だったから寿命が尽きたのだと見ることができるし、豊臣秀長、加藤清正、浅野幸長は病気を患っていたのだから病死じゃないですかね。
 ちなみに著者は石川数正について、「享年六十一だったというが、老衰という歳でもない。」(P79)などと述べていますが、当時の平均寿命は現代よりも短く(それこそ「人間五十年」の世界だ!)、これでも長生きした方ですぞ。

※加藤清正の毒饅頭ならば、噂レベルで存在する。ただし、飽くまで噂レベルなので、せいぜい時代小説や時代劇で採用されるのが関の山。

【参考文献】
西村誠『家康が毒殺した10人の武将』双葉社

安野眞幸『教会領長崎 イエズス会と日本』講談社

天正八年(一五八〇)、大村氏より長崎を寄進されたイエズス会。
彼らは寺社勢力のように、都市・流通機構を支配し、
南蛮貿易から巨富を得た。
<約束の地>長崎を安定化させるために、
武装化・軍事化路線を進んだ彼らが取った戦略とは?
一五八七年の豊臣秀吉の「バテレン追放令」まで、
日本史上大きな画期をなす<教会領>の時代を捉え直す。

(裏表紙の紹介文より引用)

 私の場合、このことは高校の日本史の授業でちょっとだけ学んだ記憶があります。なにぶん昔のことなのであまり憶えていませんが、たしか長崎が借金のカタに取られてイエズス会の領地になっていたとか。記憶違いだったらすいません。
 しかし本書によると大村純忠(ドン・ベルトロメウ)からの寄進であり(P92-93に寄進文書を掲載)、大村氏とイエズス会のそれぞれの思惑により成り立ったものと解されています。

 それはさておき、本書の前半は経済の話が多く出るので、その方面に疎い人には少々とっつきにくいかもしれません。しかしながら、そもそも長崎は海外との貿易港であるから、貿易(特に南蛮貿易)を取り上げるのは当然で、必然的に経済の話にならざるをえないのです。
 又、イエズス会がこの南蛮貿易で相当儲けていたことも見逃せません。どれくらい儲けていたのかは本書の試算をお読み下さいとしか言いようがありませんが、どうやら「裏帳簿」もあったらしい(P110)。

【参考文献】
安野眞幸『教会領長崎 イエズス会と日本』講談社

鶴間和幸『人間・始皇帝』岩波書店

 始皇帝時代の竹簡(睡虎地秦簡、里耶秦簡など)や兵馬俑坑などの調査から、司馬遷の「『史記』の読み直しを行い、始皇帝の人間としての実像に迫」(P7)ろうというもの。
 ただ、どこまで彼の人間像に迫れたのかというと、まだまだ途上にあると言わざるをえません。例えば始皇帝御製の詩でも発見されたのならともかく、末端の役所の通達なんかでは「雲の上の人」の実像なんて知りようがないし、これまで知られていなかった歴史書が発掘されたとしてもその書の信憑性が低ければ「そういう異説もあった」程度で片付けられてしまいます。
 しかしながら、彼の名前が「政」ではなくて「正」だというのは驚きでしたな。どうして本来は「正」なのか、そしてなぜ今は「政」になっているのかについての長い説明は本書に譲りますが、これが定説となれば世界史の教科書の書き換えが必要になってくるでしょう。

【参考文献】
鶴間和幸『人間・始皇帝』岩波書店

奥富敬之『義経の悲劇』角川書店

平家滅亡後、兄頼朝に打ち捨てられ、逃走と放浪の末、薄幸の生涯を終えた、という人物像が巷間に流布する義経。はたして、それは本当なのか。大きな歴史のうねりの中で翻弄され続けた義経の知られざる実像を、頼朝の思想との対比を通して史実に沿って検証。真実の義経像に迫る。(裏表紙の紹介文より引用)

 「政治性欠如の武将、義経」(P152)。彼の印象はこの語に尽きる。
 もしも源義経に多少なりとも政治的センスがあったならば、兄・頼朝が目指していた武家政権樹立の重要性を理解できたかもしれないし、あるいはたとえ理解できずとも鎌倉との確執を回避できたのではないか(※)。本書を読み終えてふとそんなことを思いました。
 そういえば、私も当ブログにて源義経を扱った作品を色々と取り上げてきましたが、それらはいずれも「政治家・源義経」としては描いていません。鶴岡八幡宮の造営、京の治安維持、朝廷との折衝など、政治手腕が問われることもやっているのですが、そちらの方面は注目されていないようです。

※ただ、もしも生き永らえていたとしても、頼朝の死後に北条氏との権力闘争に敗れて粛清されたかもしれません。

【参考文献】
奥富敬之『義経の悲劇』角川書店

【関連記事】
高木卓訳『義経記』河出書房新社(1)
高木卓訳『義経記』河出書房新社(2)
高木卓訳『義経記』河出書房新社(3)
高木卓訳『義経記』河出書房新社(4)
高木卓訳『義経記』河出書房新社(5)
高木卓訳『義経記』河出書房新社(6)
高木卓訳『義経記』河出書房新社(7)
高木卓訳『義経記』河出書房新社(8)
江戸歌舞伎「御摂勧進帳(ごひいきかんじんちょう)」
舞の本「未来記」
浄瑠璃「浄瑠璃御前物語」
浄瑠璃「牛王の姫」
謡曲「鞍馬天狗」
謡曲「舟弁慶」
謡曲「熊坂」
虎の尾を踏む男達

神田千里『島原の乱 キリシタン信仰と武装蜂起』中央公論新社

 数多くの史料を駆使して島原の乱を追った本。
 ただ、史料の殆どは幕府側のものであり、一揆側のものは少ない。一揆側のものがあるとすればせいぜい、原城から脱走した者(落人)の調書や、『山田右衛門作口書写』などがあるくらいで、これらとて筆録しているのは幕府側の人間です。
 勝者が歴史を書いたのだと言ってしまえばそれまでですが、一揆側も資料を残すことは考えていなかった、というよりそこまで手が回らなかったのでしょう。『三国志正史』を書いた陳寿の如き人物は望むべくもなかったにせよ、インテリ向けのプロパガンダをやってくれる「革命の理論家」くらいはいてもよかった。

 話は変わりますが、本書では「乱の主役はあくまで立ち帰りキリシタンである」(P105)として、キリシタン信仰の立ち帰りを重視しています。立ち帰りとは、一度は棄教したものの再度その信仰に戻ることです。
 立ち帰りと聞いて私は、「ペトロの否認」を想起しました。十二使徒の一人ペトロは、追い詰められてイエスの面前でイエスを知らない(イエスの弟子ではない)と三度も否認したとか(ルカ福音書 22.54-62)。立ち帰りキリシタンの中には、この時のペトロと、キリシタン信仰を捨てていた頃の自分を重ね合わせた者もいたんじゃないかと想像した次第。

【参考文献】
神田千里『島原の乱 キリシタン信仰と武装蜂起』中央公論新社

【関連記事】
木下杢太郎「天草四郎」

ノーマン・F・カンター『黒死病 疫病の社会史』青土社

 イングマール・ベルイマン監督の映画「第七の封印」の疫病が黒死病だったような気がした(※)ので本書を読んでみると、「第七の封印」への言及がありました。

 黒死病は、地中海世界と西ヨーロッパのほとんどの地域を襲った。イングマール・ベルイマンが一九五七年に製作した映画『第七の封印』は黒死病がスウェーデンに与えた衝撃を描いているのだが、ベルイマンは一三五〇年頃スウェーデンを襲った黒死病が強烈なペシミズムの時代をもたらし、恐怖とこの世のはかなさという感情を撒き散らしたと考えていた。(P13)

 たしかに「第七の封印」はおそろしくペシミスティックでしたな。まさにこの世の終わりだと言わんばかりに。

 それから、本書の「第十章 黒死病の余波」では、シェイクスピアの歴史劇「リチャード二世」「ヘンリー四世」「ヘンリー五世」「ヘンリー六世」に該当する部分が述べられており(P234-238)、あの一連の歴史絵巻の背後に黒死病が隠れていることがわかります。
 詳細は本書に譲りますが、例えばリチャード二世の叔母でジョン・オブ・ゴーントの妹に当たるジョーン王女が若くして黒死病で死んだため政略結婚が破談となり、フランスとの戦争に大きく影響したり…といった具合です。

※映画ではペストと言っていたのを後になって思い出した。尚、本書によると黒死病は大部分がペストで、おそらく一部は炭疽病であろうとの見方を示している(第二章)。

【参考文献】
ノーマン・F・カンター『黒死病 疫病の社会史』青土社

【関連記事】
第七の封印
シェイクスピア(目次)

原田実『トンデモニセ天皇の世界』文芸社

 ニセ天皇(自称天皇)といえば真っ先に思い浮かぶのが熊沢天皇です。熊沢天皇については本書の中でも取り上げられているし(P59-68)、本書表紙のスーツ姿の男性も熊沢天皇です。
 尚、熊沢天皇の背後にいるのは後醍醐天皇であり、こちらは本物の天皇です。
 なぜここで後醍醐天皇を登場させたのかを愚考するに、熊沢天皇を始めとするニセ天皇の多くは南朝(あるいは後南朝)の末裔を称しており(例:池端天皇、三浦天皇、外村天皇)、その「南朝系子孫」の起源とされる南北朝の動乱の戦犯が後醍醐天皇だから、ではないでしょうか。

南北朝時代最大の戦犯は誰かと言われたら、それは後醍醐に背いた武家方の武士たちの誰かではなく、後醍醐その人をこそ示すべきだろう。(P111)

 とはいえ、後醍醐天皇がニセ天皇を生み出す原因というよりは寧ろ、ニセ天皇たちが自分のルーツを求めた際にそこに行き着きやすかったのでしょう。南朝は『太平記』の講談などで有名だったし、正統性がありそうに見えますからね。おまけにこの時代は戦乱で史料が不明だったりするから、なおさら付け込みやすい。

【参考文献】
原田実『トンデモニセ天皇の世界』文芸社

リチャード・ハフ『戦艦ポチョムキンの反乱』講談社

 ポチョムキン号反乱事件については名前と、この事件を題材にした映画「戦艦ポチョムキン」が存在することは知っていました。
 その程度の知識で読み進めてみると、発見があるわあるわ…。例えばこの反乱が起こったのは日本海海戦でバルチック艦隊が潰滅した直後であり、水兵たちの士気がダダ下がりだったことや、オデッサで暴動が起こっていたことなどです。

 ところで、そもそも軍隊には兵站の確保という古今東西共通の難題が存在します。反乱を起こせば当然のことながらロシア帝国は燃料や食料、水、武器弾薬などの必要物資を補給してくれなくなるので、どこかからそれらを確保しなければなりません。
 では、戦艦ポチョムキンはその難題をいかにして解決したのか? 実を言うと解決できず、6月27日に勃発した反乱は7月8日のルーマニア亡命で終幕するという、事件の規模の割には短期間で終わっているのです。
 見方を変えれば、兵站(補給)を絶ってしまえば戦艦といえどもこんなにもろくなるようです。

【参考文献】
リチャード・ハフ『戦艦ポチョムキンの反乱』講談社

【関連記事】
戦艦ポチョムキン

別宮暖朗『第一次世界大戦はなぜ始まったのか』文藝春秋

 奥付によれば本書初版は2014年発行。第一次世界大戦勃発のちょうど100年後です。百周年に合わせて出版された模様。
 ところで、タイトルの「第一次世界大戦はなぜ始まったのか」という設問に対して本書は、クリミア戦争や普仏戦争などの第一次世界大戦よりも半世紀ほど前から書き起こすことで当時のヨーロッパ情勢を長々と説明しています。これはつまり、それだけ通暁していないとわからないということなのでしょう。
 …え? サラエボ事件? 確かにサラエボ事件は重要で、本書でも第三章を丸々それに当てているほどです。でも、サラエボ事件は契機であってドイツやフランスなどにとっては主原因ではありません。オーストリアの皇太子夫妻が暗殺されただけでは、ドイツがフランスに攻め込む理由を説明できませんからね。
 尚、本書では、一般的に言われている三国同盟・三国協商が原因となったという説に対しては否定する立場を取り(P81)、最後の方で「死せるシュリーフェンが文明を崩壊させた」(P234)と、ドイツのシュリーフェン・プランのせいにしています。
 愚考するに、プランは飽くまでプランであって、それを実行するかしないかは別の問題です。そのプランの実行にゴーサインを出した者の責任が問われます。

【参考文献】
別宮暖朗『第一次世界大戦はなぜ始まったのか』文藝春秋

【関連記事】
フォルカー・ベルクハーン『第一次世界大戦 1914-1918』東海大学出版部(1)
フォルカー・ベルクハーン『第一次世界大戦 1914-1918』東海大学出版部(2)
フォルカー・ベルクハーン『第一次世界大戦 1914-1918』東海大学出版部(3)
フォルカー・ベルクハーン『第一次世界大戦 1914-1918』東海大学出版部(4)

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