無料ブログはココログ

高尾山佛舎利奉安塔の碑(高尾山有喜苑)

 東京都八王子市の高尾山有喜苑にある、高尾山佛舎利奉安塔の碑を解読してみました。

高尾山佛舎利奉安塔の碑

【碑文】
(正面)
日泰/親善
高尾山佛舎利奉安塔
 館林市 全日本書道連合会 山野龍石書

(右)
高尾山薬王院第三十一世
        秀順代

(左)
奉安護持財団法人ボーイスカウト日本連盟

(背面)
平成元年秋吉祥日
   協和産業株式会社
      杉田光康建立

 碑文中の「泰」はタイ王国のこと。タイ王国より仏舎利(仏陀の遺骨)の一部を譲り受けて、高尾山有喜苑に仏舎利塔を建てたことを示しています。
 それから、山野龍石の名はどこかで…と思ったら、「南無飯縄大権現の碑(1)」を書いたのもこの人でした。

【関連記事】
高尾山の石碑(目次)

高尾山有喜苑の碑(高尾山有喜苑)

 東京都八王子市の高尾山有喜苑にある、高尾山有喜苑の碑を解読してみました。

高尾山有喜苑の碑

【碑文】
(正面)
高尾山有喜苑

(右)
日泰親善高尾山仏舎利塔

(左)
高尾修験紫燈護摩道場

(背面)
 平成元年秋吉祥日
  高尾山第三十一世秀順代
高尾一心八大龍王講結成記念建之
        先達 彰山粧麗

 ここが高尾山有喜苑であるということを示す碑。
 碑文中の「泰」はタイ王国のこと。タイ王国より仏舎利(仏陀の遺骨)の一部を譲り受けて、高尾山有喜苑に仏舎利塔を建てたことを示しています。
 仏舎利か…。そういえば他にも仏舎利を奉安しているところがあったな。まあ、各地のお寺を参詣していれば、いずれ巡り会えるかもしれません。

【関連記事】
高尾山の石碑(目次)

献眼の碑(高尾山有喜苑)

 東京都八王子市の高尾山有喜苑にある、献眼の碑を解読してみました。

献眼の碑

【碑文】
 千手千眼観音菩薩像は 目をつけた千本の手を持ち 沢山の
目で多くの人を見守り 沢山の手で多くの人を救おうとし
ている観音菩薩です
 アイバンク運動は 目の不自由な人々に愛の光を贈り社
会復帰を助ける運動です 死後 自分の目を失明した
人達に差しあげる その無償の行為をされた献眼者は
菩薩とも言える人です
 東京八王子中央ライオンズクラブではメインの事業としてアイ
バンク運動を展開し三一七九名の献眼登録者を得
四八名の方が角膜を提供し目の不自由な方が光を取
り戻しました
 本年結成三十周年を迎え千手千眼観音菩薩像を
アイバンク運動の象徴と考え献眼された方々の冥福を
祈りその崇高な 行為を永久に称えるために心のふるさと
高尾山に建立致しました
高尾山千手千眼観音菩薩像
東京八王子中央ライオンズクラブ
  結成三十周年記念建立
   平成十四年十一月三十日

 千手千眼観音菩薩(千手観音)とアイバンク運動を解説しています。
 なるほど、千の眼か…。アイバンク運動にはうってつけの存在かもしれません。

【関連記事】
高尾山の石碑(目次)

庚申塔(2)(金乗院)

 東京都豊島区の金乗院(目白不動尊)にある、庚申塔を解読してみました。

庚申塔

【碑文】
 元禄壬申年講中
奉待念庚申座
 十一月初七日敬白

 庚申塔は供養塔の一種で、庚申講(庚申待ち)を3年18回続けた記念に建てられることが多い。
 さて、元禄年間の壬申年は元禄5年(1692年)で、この年に井原西鶴の『世間胸算用』が刊行されています。

庚申塔(1)(金乗院)

 東京都豊島区の金乗院(目白不動尊)にある、庚申塔を解読してみました。

庚申塔

【碑文】
 延宝五丁巳歳
庚申塔信心■
 八月十六日

※■は解読できず。

 庚申塔は供養塔の一種で、庚申講(庚申待ち)を3年18回続けた記念に建てられることが多い。
 さて、延宝5年(1677年)は江戸時代前期て、この年に大岡忠相(大岡越前守)が生まれています。

倶利伽羅不動庚申塔(金乗院)

 東京都豊島区の金乗院(目白不動尊)にある、倶利伽羅不動庚申塔を解読してみました。

倶利伽羅不動庚申塔

【碑文】
寛文六丙午年向用願主
        久松

      龍■
二月九日辰敬白

※■は解読できず。

 庚申塔は供養塔の一種で、庚申講(庚申待ち)を3年18回続けた記念に建てられることが多い。
 さて、寛文6年(1666年)は江戸時代前期で、この年に酒井忠清が大老に就任しています。
 この庚申塔、それくらい古い割には保存状態がいい。

六十六部供養塔(金乗院)

 東京都豊島区の金乗院(目白不動尊)にある、六十六部供養塔を解読してみました。

六十六部供養塔

【碑文】
(正面)
南無阿弥陀仏

(左)
寶永六己丑暦五月二十八日

(右)
   天下和順
奉回國六十六部供養塔為法界利益
   日月清明

 六十六部とは、法華経を66回書写して、一部ずつを66箇所の霊場に納めて歩いた巡礼者。略して六部ともいう。
 又、法界(ほっかい)には色々な意味がありますが、「天下」や「日月」といったスケールの大きな概念の語が用いられていることを考えると、ここではやはり大きなスケールの概念である全宇宙といった意味に取った方がいいかもしれません。
 ところで、宝永6年(1709年)というと、徳川綱吉が死んで生類憐みの令が廃止された年ですな。

御府内八十八箇所の碑(2)(金乗院)

 東京都豊島区の金乗院(目白不動尊)にある、御府内八十八箇所の碑を解読してみました。

御府内八十八箇所の碑

【碑文】
 三十八番
(梵字※)弘法大師

 豊山派長谷寺五十■世
     権中教世秀善書

※梵字は弥勒菩薩の種字ユ。

 ここが御府内八十八箇所の第38番であることを示す碑。御府内とは江戸のことで、御府内八十八箇所とは江戸にある八十八箇所の霊場。この八十八箇所は、比較的有名なところだと第23番の薬研堀不動院や第71番の新井山梅照院(新井薬師)などがあります。
 さて、この碑文を揮毫した秀善なる人物について調べてみると、奈良県桜井市の長谷寺(真言宗豊山派の総本山)の第53代住職・守野秀善らしい。だとすると、碑面の破損で読めなくなっていた■には「三」が刻まれていたはずです。

御府内八十八箇所の碑(1)(金乗院)

 東京都豊島区の金乗院(目白不動尊)にある、御府内八十八箇所の碑を解読してみました。

御府内八十八箇所の碑

【碑文】
(正面)
御府内/第三十八番 弘法大師

(側面)
現住 小野塚與澄代

(背面)
明治四十四年三月吉日

講元 吉倉清太郎
先達 金子銀次郎
監督 田崎伊三郎
同  大野銀八
同  島田幸太郎

 ここが御府内八十八箇所の第38番であることを示す碑。御府内とは江戸のことで、御府内八十八箇所とは江戸にある八十八箇所の霊場。この八十八箇所は、比較的有名なところだと第23番の薬研堀不動院や第71番の新井山梅照院(新井薬師)などがあります。
 尚、明治44年(1911年)は、辛亥革命が起こった年です。

目白豊坂稲荷社号碑(目白豊坂稲荷)

 東京都豊島区の目白豊坂稲荷にある、目白豊坂稲荷社号碑を解読してみました。

目白豊坂稲荷社号碑

【碑文】
(表)
豊坂稲荷神社

(裏)
昭和二十三年初午
 發起人
  目白町熊澤登茂
  今鶴 今村一雄
  八百豊三本豊吉

 昭和23年(1948年)というと…太宰治が自殺に「成功」していますな。

より以前の記事一覧

2021年4月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30