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松岡和子訳『尺には尺を シェイクスピア全集 28』筑摩書房

あらすじ…公爵の代理に任命された貴族アンジェロは、世の風紀を正すべく法を厳格に適用し、結婚前に恋人を妊娠させた若者に淫行の罪で死刑を宣告する。しかし兄の助命嘆願に修道院から駆けつけた貞淑なイザベラに心奪われると……。(裏表紙の紹介文より引用)

 あらすじの段を読むだけではわからないと思いますが、この話の主役は公爵(ヴィンセンショー)で、彼は修道士に変装して問題の解決に東奔西走します。それにしても、公爵の変装を誰も見破れないというのは、よっぽどうまく化けたんでしょうな。
 一方、ヒロインはというと、メインはイザベラといったところか。

 さて、ここから先は結末部分をちょっとネタバレ。
 最後の方でヴィンセンショーはイザベラにプロポーズします。しかも、イザベラは返事をする間もなく終幕。
 ハッピーエンドといえばハッピーエンドなんでしょうけど、ドタバタしてるなあ。

【参考文献】
松岡和子訳『尺には尺を シェイクスピア全集 28』筑摩書房

【関連記事】
シェイクスピア(目次)

太宰治「桜桃」

あらすじ…家族の幸福を願いながら、自らの手で崩壊させる(裏表紙の紹介文より引用)

 この作品の冒頭に詩篇121番が引用されているのですが、それについて少々。
 手許の聖書を引いてみると、詩篇121番は「都に上る歌」とあり、ざっと読む限りでは、旅の道中の安全を神に祈願する内容のようです。
 旅といえば、作者の太宰治はこの作品を書いた後、入水自殺して死出の旅路に着いたんでしたっけ。ただ、聖書の神は自殺を禁じていたはずだから、作者がこの神に死出の旅路の安全を祈ったとしても、神はその願いを聞き入れてくれなさそうではある。

【参考文献】
太宰治『人間失格・桜桃』角川書店

三島由紀夫「弱法師(よろぼし)」

あらすじ…盲目の青年・俊徳(としのり)の親権を巡って、養父母の川島夫妻と実の両親の高安夫妻とが争い、家庭裁判所の桜間級子調停委員が調停に入る。

 俊徳は「一種の狂人」(P207)と評される性格の持ち主で、双方の両親を翻弄しています。こりゃひどい。
 ともかくもこれでは埒が明かないと見た級子は俊徳とサシで話すことにします。そしてそこに至って俊徳は「この世のおわり」(P222)の光景をまくしたてて、自分がなぜこうなってしまったのかを明らかにしてます。ここまで語らしめるとは…ああそうか、級子は俊徳にカウンセリングのようなことをしていたのか。

【参考文献】
三島由紀夫『近代能楽集』新潮社

三島由紀夫「熊野(近)」

あらすじ…大実業家の宗盛は、愛人の熊野(ゆや)を花見に連れて行こうとするが、熊野は行きたがらない。北海道の母が病気だというのだ。

 三島由紀夫はこの作品の他に同名の別作品を書いて『三田文学』に載せており、それと区別するためにこちらの『近代能楽集』の「熊野」には(近)を付け、『三田文学』所収の「熊野」には(三)を付けて表記します。
 さて、この「熊野(近)」では最後にどんでん返しが用意してあり、それを見ると宗盛が意外にしたたかで有能だったりします。ネタバレ防止のために詳細は伏せますが、このハッピーエンド(?)には釈然としないものが残りました。

【参考文献】
三島由紀夫『近代能楽集』新潮社

【関連記事】
三島由紀夫「熊野(三)」

三島由紀夫「道成寺」

あらすじ…巨大な衣装箪笥がオークションにかけられる。とそこへ、踊り子の清子がやってきて、その衣装箪笥の恐るべき由緒を語る。

 清子の話を整理すると大体こんな関係になります。

三島由紀夫「道成寺」

 安珍が安(やすし)に、清姫が清子になっているわけですな。それから、謡曲「道成寺」では清姫が白拍子に化けて登場していましたが、それがここでは踊り子になっています。
 ただ、清姫は安珍を殺しましたが、清子は安を殺してはいません。話によれば犯人は桜山氏、即ち不倫相手の夫です。清子が桜山氏を唆(そそのか)して安を殺害せしめたというのなら、清子も殺人の共犯(正確には殺人教唆)になるのでしょうが、どうもそういう形跡は見当たらない。

 最後に、ラストについて。ネタバレ防止のために詳細は伏せますが、謡曲「道成寺」の結末よりは幾分か軽い感じがします。これはやはり、主人公が愛する者を殺したという十字架を背負っていないからでしょうかね。

【参考文献】
三島由紀夫『近代能楽集』新潮社

【関連記事】
市原悦子のむかし語り:「今昔物語」“女の執念が凝って蛇となる話”
謡曲「道成寺」

三島由紀夫「班女」

あらすじ…画家の老嬢・実子は、班女の花子の面倒を見ている。花子は愛する男が戻ってくるのを待っているのだ。そんなある日、花子のことが新聞に載り…。

 班女が登場する作品といえば近松門左衛門の「双生隅田川」を取り上げたことがあります。あちらの班女は我が子を失って狂女となりましたが、こちらの班女(花子)は恋人を失って狂女となっています。だとするとこれは恋愛劇になるのか。
 恋愛劇といえば、実子もその恋愛劇のプレイヤーでしょうな。作品中で実子は何とかして花子を手放すまいとしていますが、実子がレズビアンで花子を愛しているのだと解釈すれば彼女の行動も納得が行きます。

【参考文献】
三島由紀夫『近代能楽集』新潮社

三島由紀夫「葵上」

あらすじ…深夜の病院。若林光は入院している妻・葵を見舞う。とそこへ、光のかつての恋人・六条康子がやってくる。

 『源氏物語』に材を取った作品。とすると光源氏→若林光、葵上→葵、六条の御息所→六条康子ということになります。もちろんここに登場する六条康子は…おっと、これ以上はネタバレ防止のために伏せておきましょうかね。
 尚、この作品に登場する看護婦だけはモデルが見当たりませんが、これは前半のガイド役といったところで、光たちのドロドロの愛憎劇に加わることなく退場します。

【参考文献】
三島由紀夫『近代能楽集』新潮社

【関連記事】
新源氏物語

三島由紀夫「卒塔婆小町」

あらすじ…夜の公園でタバコの吸い殻を拾っている老婆のところへ、若い詩人が近付いてくる。老婆は詩人に、昔自分が鹿鳴館の花形だったという話をする。

 鹿鳴館の華やかなりしパーティーの光景は、死にゆく詩人が見た幻想(マッチ売りの少女のような!)だったのだと解釈できます。あるいは、老婆は実は邪悪な魔女で、哀れな詩人に魔法をかけて眩惑し、死に至らしめたとも解釈できます。まあ、近代合理的な人ならば後者よりも前者の解釈の方が説得力を持つでしょうな。
 もしも前者の解釈を採るならば、謡曲「卒塔婆小町」の老婆が深草少将の亡霊に取り憑かれて狂っていたのに対し、こちらの作品では狂っていたのは詩人の方だということになります。

【参考文献】
三島由紀夫『近代能楽集』新潮社

三島由紀夫「綾の鼓」

あらすじ…法律事務所の老小使・岩吉は、向かいのビルの洋裁店に姿を現わす華子に恋をし、恋文を送り続けていた。洋裁店の連中は一つからかってやろうということになって…。

 この作品は大きく前半と後半とに分かれています。即ち、岩吉が死ぬまでが前半であり、岩吉の亡霊と華子が会話をするのが後半です。
 そこで一つ気付いたのは、前半では華子のセリフが一切ないということです。後半で亡霊としゃべりまくるのとは対照的です。ひょっとしたら華子は、現世より幽界の人間と話す方がお似合いなのかもしれませんな。

【参考文献】
三島由紀夫『近代能楽集』新潮社

三島由紀夫「邯鄲」

あらすじ…次郎は乳母だった菊のもとを訪れ、彼女の家にある不思議な枕で寝る。

 主人公(次郎)のキャラクターが凄い。

次郎 (言下に) ううん、僕は女を愛したことも愛されたこともありはしない。(P13)

次郎 友達なんて! はじめっから一人もいやしない。(P13)

次郎 学校なんかもうやめちゃったもの。
菊  それじゃあ世間で揉まれなすったのね。
次郎 ううん、家でぶらぶらしてただけさ。
(P14)

 つまり次郎は恋愛経験ゼロ、友達ゼロの中退ニートです。社会不適応にも程がある。

 さて、ここから先はネタバレ注意。
 次郎が邯鄲の枕で見た夢を整理してみると…

(1)美女:恋愛と家庭
(2)踊子:歓楽
(3)秘書:富
(4)紳士:政治的権力と名声
(5)老国手:死

 次郎はこれら全てにひじてつを食らわせ続けます。そして最後に出てきた老国手は、正体を明かした上で次郎を毒殺しようとします。死ぬことで涅槃の境地に入らせようとしたのかな?
 それはともかく、次郎はそれも拒否したところで目が覚めてみると、庭の花が咲いているという事態に。枕と花の因果関係はよくわかりませんが、次郎が枕の魔法を打ち破ったのは確かなようです。
 こんなこと、常人にできることではあるまい。ああそうか、次郎は常人じゃないから社会不適応なのか。

【参考文献】
三島由紀夫『近代能楽集』新潮社

【関連記事】
謡曲「邯鄲」

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