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「笑う石像」(超・怖い話ガム)

あらすじ…通学路の空き地の原っぱに、いつからかおじいさんの石像が立っていた。そして、そこを通りかかるたびに、石像の種類が増えていった。そんなある日…。

 語り手の主人公は小学生の女の子。文章の中では自分のことを小学生の女の子だと言っているわけではないのですが、イラストを見ると赤いランドセルを背負ってスカートをはいているのでそれと判断した次第。
 ちなみにこのイラスト、石像が女の子のスカートの中を覗いているようにも見受けられます。変態!

笑う石像

太宰治「服装に就いて」

あらすじ…自分の服装について語る。

 太宰治がまた自分語りを始めています。しかも今回は自分の服装について語っているのですが、貧乏作家なので服があまりない。ここには詳しく書きませんが、一種の貧乏自慢のような文章が続きます。
 で、最後はこう締めくくっています。

 宿題。国民服は、如何。(P176)

 巻末の「解題」(P431-439)によると、本作の初出は昭和16年(P435)で、第二次世界大戦の真っ最中です。更に詳しく言えば、この時の日本は大陸で中国と泥沼の戦争を繰り広げており(日中戦争)、しかもこの年(1941年)の12月にハワイの真珠湾奇襲攻撃、日米開戦となります。
 つまりこの作品、戦時下で書かれているということを、最後の一行でピシャリと打ち出しているのです。それまでは、そんな風には見えなかったので、これにはハッとしましたわ。

【参考文献】
太宰治『太宰治全集4』筑摩書房

太宰治「新ハムレット」

あらすじ…デンマーク国エルシノア城。王子ハムレットは悶々とした日々を送っていた。父王が死んでその弟が即位し母と結婚したのだ。

 原作は言うまでもなくシェイクスピアの『ハムレット』。
 シェイクスピア版との違いは色々とありますが、一つは登場人物が削られていることが挙げられます。先代の王の幽霊は登場せず、代わりに噂話として言及されるにとどまっています。又、ローゼンクランツとギルデンスターンも登場せず、フォーティンブラスや旅芸人一座さえも登場しない。随分と小じんまりした感じを与えます。
 舞台が一国の王城であることを考えると、もっと人がいてもいいし、もっと人が出入りしてもいい。
 それから、ネタバレ防止のために詳細は伏せますが、あの結末は決着になっておらず、釈然としないものが残ります。これはどうやら、作者(太宰治)が力尽きたようです。さすがにシェイクスピアの傑作の壁は高いと言うべきか。

【参考文献】
太宰治『太宰治全集4』筑摩書房

【関連記事】
シェイクスピア(目次)

太宰治「誰」

あらすじ…学生から「サタンだ」と言われたことが気になった作者(太宰治)が、これを否定するためにサタンについて色々調べてみる。

 その後、かつて自分が金を無心した先輩や、女性読者が登場。話がユーモラスに展開します。
 本作を読むに際しては、深刻な気持ちにならず、気楽な感じでいるのがいいでしょう。

【参考文献】
太宰治『太宰治全集4』筑摩書房

太宰治「令嬢アユ」

あらすじ…友人の佐野君が伊豆へアユ釣り旅行をして、そこで出逢った女性に恋をする。

 これは恋愛小説に分類してもいいように思います。というのは、佐野君はその令嬢について、「いいひとだ、あの令嬢は、いいひとだ、結婚したい」(P185)と言っており、その方面に疎い私でも佐野君が恋をしていることくらいさすがにわかる。
 そしてこれが恋愛小説だとすると、太宰にしては珍しいといえば珍しい。
 さて、そんな恋愛譚ですが、最後に作者(太宰治)が令嬢アユの正体を推理して見せて、水を差して終わっています。ネタバレ防止のために詳細は伏せますが、この結末は渡辺温「男爵令嬢ストリートガール」を想起しました。

【参考文献】
太宰治『太宰治全集4』筑摩書房

太宰治「佐渡」

あらすじ…佐渡へ旅行する。

 「みみずく通信」の続きに当たる作品。「みみずく通信」で作者(太宰治)は新潟の高校で講演をしており、その直後に佐渡に渡っています。
 さて、そんな太宰ですが、佐渡行きの船の中で早くも佐渡行きを後悔しています。

 けれども船室の隅に、死んだ振りして寝ころんで、私はつくづく後悔していた。何しに佐渡へ行くのだろう。(略)誰も褒めない。自分を、ばかだと思った。いくつになっても、どうしてこんな、ばかな事ばかりするのだろう。私は、まだ、こんなむだな旅行など出来る身分では無いのだ。家の経済を思えば、一銭のむだ使いも出来ぬ筈であるのに、つい、ふとした心のはずみから、こんな、つまらぬ旅行を企てる。(P125-126)

 悔恨の言葉はまだ続きますが、このくらいにとどめておきます。
 私も、ふと思い立って遠出をして後悔の念に駆られることがあるから、気持ちは(少しは)わかります。ここで具体的な場所の名前を書くとその土地の悪口を言うことになりかねないので具体名は伏せますが、観光地として開発されすぎていて観光客でごった返しているところなんかは、私には合わないので後悔することがあります。行く途中でも、行った後も。
 しかしですよ、太宰さん。あなたは「何しに佐渡へ行くのだろう」とおっしゃいますが、アンタそもそも小説家じゃないですか。だったら小説の取材という大義名分が使えますぞ。

【参考文献】
太宰治『太宰治全集4』筑摩書房

太宰治「みみずく通信」

あらすじ…新潟の高校へ講演旅行に行く。

 作者(太宰治)は講演の中で、その講演についてこんなことを言っています。

「別に、用意もして参りませんでした。宿屋で寝ながら考えてみましたが、まとまりませんでした。(略)」(P117)

 これはひどい。だが、考えようによっては太宰治のいい加減なところが出ていると把えられなくもない。

【参考文献】
太宰治『太宰治全集4』筑摩書房

太宰治「東京八景」

あらすじ…貧乏作家の自分が伊豆の山村に籠って自伝小説を書く。

 太宰治の自伝小説。これは『人間失格』のプロトタイプとして読めるんじゃないでしょうか。
 自分がどんどん落ちぶれて行って、ドン底を這いずり回り、そこから這い上がった後の高揚感。う~ん、凄いな。こんな人生を送るのも、それを小説として書き上げてしまうのも。

【参考文献】
太宰治『太宰治全集4』筑摩書房

太宰治「きりぎりす」

 妻が家出をする際に、画家の夫に宛てた置き手紙を書いた、という形式の作品。
 こちらの文庫本(ちくま文庫)では18ページと、小説としては短い部類なのですが、一通の置き手紙としては長すぎる。とはいえ、夫婦間でなら説明を省略しても通じる諸事情であっても、赤の他人の第三者(即ち読者)には一応わかる程度には説明せねばならないので、書くことが実際の置き手紙よりも増えてしまうのはやむをえない。
 とはいえ、それを差し引いても長すぎるのだけれども、書きたいことがいっぱいあったんでしょうね。
 それから、本作は改行がやけに少ない。そこは改行しておけよ、と思うところでも改行していません。おかげで読みにくいったらありゃしない。
 もちろんこれは作者(太宰治)がわざとやったことで、語り手(妻)は適切な改行ができないレベルの文章力の持ち主だということを示しているようです。
 尚、夫と妻、どちらが正しくてどちらが間違っているかの判断をここではしないことにします。それには夫の言い分も聞いておく必要があると思ったからです。

【参考文献】
太宰治『太宰治全集4』筑摩書房

イエーツ「鷹の井戸」

あらすじ…岩山の涸れた井戸。そのそばに井戸の守りが立ち、老人が井戸の水がわき出るのを待っている。その井戸の水を飲めば不死になれるからだ。とそこへ、一人の青年がやってくる。青年はクーフリンと名乗る。彼もまた不死の水を求めていた。

 クーフリンはアイルランドの神話的英雄。
 私はこの作品を読んで、『ギルガメシュ叙事詩』を想起しました。神話的英雄が不死を求めて旅をするものの、結局は得られないという共通点があるからです。
 ただ、クーフリンの最後に取った行動を見ると、ギルガメシュほどには不死に拘泥していないようです。寧ろギルガメシュと同等かそれ以上に不死を希求しているのが老人で、50年も待ち続けるという年季の入りようです。
 50年。ここまでして求める不死とは一体何なのでしょうか?

【参考文献】
イエーツ『鷹の井戸』角川書店

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