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司馬遼太郎「奇妙なり八郎」

あらすじ…清河八郎が幕府を倒すべく策謀を凝らす。

 都市伝説に、「田中河内介の最期を語ろうとすると死ぬ」というものがあります。そんな都市伝説を知っていたから、本作に田中河内介の最期が書かれていたのには驚きました。
 清河八郎が田中河内介と組んで浪士団を結成し、討幕をしようとしたものの清河が浪士団を追放された直後のくだりです。

 清河は悔いたが、なお運はかれを見すてなかった。かれが上方を去った直後、寺田屋ノ変がおこったのである。薩摩藩士有馬新七ら浪士団の首脳の一部が伏見寺田屋で挙兵準備をしているとき、島津久光の内命を受けた八人の剣客によって誅殺され、清河なきあとの謀主田中河内介は逮捕され薩摩兵の手で海上護送の途上、その子左馬助とともに殺され、遺骸は海に投じ、のち小豆島に漂着した。この浜には、いまだに河内介の亡霊ばなしが多い。(P74)

 ちなみに作者の司馬遼太郎は本作を書き上げた後も長らく作家活動を続け、天寿を全うしています。都市伝説とは矛盾しているように感じますが、これは一体どう解釈すればいいのでしょうか? いくつか仮説を考えてみました。

(1)声に出して語るのがまずいのであって、紙に書く分には大丈夫。
(2)上記の引用文くらい簡略な記述なら大丈夫。
(3)司馬遼太郎は人気作家だから、なにがしかの強力な加護があった。
(4)そもそもが迷信である。

 井上円了なら間違いなく(4)を選ぶでしょうが、それだとあまり面白味がない。又、(3)は作者本人が既に鬼籍に入っているので検証のしようがない。
 検証といえば、残りの(1)と(2)は検証可能です。(1)を検証するには上記の引用文を声に出して読んでみればいいし、(2)ならばもっと詳細に語ればいい。しかしながら、私はこんなことに命を張ろうとは思わないし、他人にもそれを求めるつもりはありません。せいぜい、仮説をこねくり回すくらいにとどめておきます。

【参考文献】
司馬遼太郎『幕末』文藝春秋(目次)

司馬遼太郎「桜田門外の変」

あらすじ…薩摩藩士の有村治左衛門が兄雄助や水戸藩の者たちと共に大老井伊直弼を暗殺するべく画策する。

 有村治左衛門は、桜田門外の変の実行犯の中で唯一の薩摩浪士(他は全て水戸浪士)。
 それはさておき、本作の最後の方で作者(司馬遼太郎)はこんなことを述べています。

 この桜田門外の変から幕府の崩壊が始まるのだが、その史的意義を説くのが本篇の目的ではない。ただ、暗殺という政治行為は、史上前進的な結局を生んだことは絶無といっていいが、この変だけは、例外といえる。明治維新を肯定するとすれば、それはこの桜田門外からはじまる。斬られた井伊直弼は、その最も重大な歴史的役割を、斬られたことによって果たした。(P46)

 そもそもこの作品が収録されている『幕末』は暗殺事件の数々を取り扱っているのですが、上記の引用はそれらの暗殺に対する「司馬史観」を述べているようにも感じました。即ち、『幕末』の暗殺は、桜田門の変以外は全て、歴史を前進させるものではない、と。ちなみに本書の「あとがき」にも上記引用部分と同じようなことを述べている箇所があるのですが、重複するので省略。
 ともあれ、桜田門外の変は歴史を前に進めたという肯定的な評価であり、これには井伊の赤鬼(井伊直弼)も草葉の陰で喜んで…いるわけないか。

【参考文献】
司馬遼太郎『幕末』文藝春秋(目次)

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ローレンス・サンダーズ『ホワイトハウスの悪魔』早川書房

あらすじ…人の未来や過去を見とおし、病気をなおす能力をもった説教師ブラザー・クリストス。ある事件をきっかけにアメリカ合衆国大統領ホーキンズは、クリストスの神秘的な力に魅せられてしまった。やがてクリストスは、政策決定にまで関与し、その一方で近づく女たちとつぎつぎに関係をもっていく。事態に危機感をいだいた大統領のスタッフは、クリストスをなんとか排除しようと考えるが……(巻末の紹介文より引用)

 巻末の紹介文を読んだだけで、ブラザー・クリストスの元ネタはロシアの怪僧ラスプーチンだと感付きました。大統領の息子が血友病を患っていて、クリストスがその「治療」に当たるとなると、もう何をか言わんやです。
 そんなわけで本書は、もしも現代アメリカにラスプーチンが登場したらどうなるかを描いています。もちろん帝政ロシアと現代アメリカとでは事情が全く異なるわけで、例えばブラザー・クリストスがラジオ番組を持つくだりなどが出てきます。
 とはいえ、ラスプーチンと共通するところもあるわけで、その一つは彼を排除しようとする力が働くということです。具体的に誰からどのように排除されるのかはネタバレ防止のために伏せておきますが、これは命がいくつあっても足りないでしょうな。

【参考文献】
ローレンス・サンダーズ『ホワイトハウスの悪魔』早川書房

小泉八雲「悪因縁」

あらすじ…『牡丹燈籠』の幽霊の話を翻訳してみることにした。

 牡丹燈籠の幽霊譚は有名なのでここでは省略。お露という女性が死んで幽霊となってカランコロンと萩原新三郎のもとへ夜な夜な通い、そして遂には…とここまで書けば思い出す人もいることでしょう。
 さて、物語の最後の方で、作者(小泉八雲)は「新三郎は見下げはてた奴です」(P358)と、萩原新三郎に対して手厳しい評価をしています。その後も「新三郎は仏教徒です――後にも先にも、何百万の生があるのです。そして、冥界から戻ってきた娘のために、この浮世の生命さえ捨てようとしないほど利己的でした。いや、利己的というよりも、臆病だったのです。生れも育ちも侍なのに、坊主に頭を下げて幽霊から助けてもらわなければならなかった。どのみち、くだらない奴なのです」(P359)と非難を続けており、愛し合っているなら後追い自殺しろとでも言わんばかりです。
 いやいや、そう死にたくはなれませんよ。たとえ侍であっても。それに萩原新三郎が従容として死に赴いたら、この話はここまで面白くなっていたのだろうかと思わないでもない。

【参考文献】
上田和夫訳『小泉八雲集』新潮社(目次)

小泉八雲「人形の墓」

あらすじ…とある一家の父親と母親が続けざまに亡くなった。同じ年に一家の二人が死ぬと、必ずもう一人死ぬと信じられていたので、それを防ぐために人形の墓を建てなければならなかったが、人形の墓は作られなかった。

 この物語の語り手は11歳の少女「いね」で、彼女を連れてきた万右衛門が補足するという形で話が進みます。さすがに11歳の女の子では民間習俗の説明などは困難であるから、適当な解説役が必要になったのだと思われます。
 さて、同じ年に一家の二人が死ぬと必ずもう一人死ぬ、というのは俗信には相違ないと合理的に考えられますが、それで話をおしまいにしたら民俗学は始まらない。なぜそうなると信ぜられるようになったのか?
 愚考するに、家族を一人失えば悲歎は大きい。そして不幸にして短期間の内に更にもう一人失えばその悲歎は更に大きくなる。精神的負担たるや相当のもので、又、貧乏な家ならば働き手の喪失による経済的困窮も甚しく、これらにより身を損ない寿命を縮めてしまって三人目に連なる者も出たのではないかと想像します。
 それから、人形の墓を作るということは、当面の間はこれ以上は一家の誰も死なないと思わせる心理的効果が期待でき、それが心の「張り」ともなったことでしょう。

【参考文献】
上田和夫訳『小泉八雲集』新潮社(目次)

小泉八雲「雪おんな」

あらすじ…茂作と巳之吉という二人の木樵が山で吹雪に遭い、渡し守の小屋に一泊する。夜、そこへ雪おんながやってきて茂作の命を奪い、巳之吉に今夜見たことを誰かに言ったら殺すと告げて去る。

 私はこの「雪おんな」の話を、北国の話だと思い込んでいたのですが、後で知ったところによるとこれは青梅(東京都!)の話なのだという。今回改めて読み返してみると、冒頭に、

 武蔵の国のある村に、茂作と巳之吉という、二人の木樵が住んでいた。(P186)

 とあるのを発見。昔読んだはずなのにこれを失念していたとは!
 それではなぜ北国の話だと思い込んでしまったのかといえば、吹雪のイメージが強烈だからでしょうな。

【参考文献】
上田和夫訳『小泉八雲集』新潮社(目次)

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小泉八雲「茶碗の中」

あらすじ…関内という武士が茶を飲もうとすると、茶碗の中に男の顔が映る。茶や茶碗を変えてもなお映る。そこで関内は思い切ってそれを飲む。その夜、関内の前に茶碗の中の男が出現し式部平内と名乗る。

 最後の一文が気になりました。

魂をのみ込んだ結果については、読者の判断にゆだねておく。(P91)

 関内が式部平内の顔が映った茶を飲んだことを指していると思われますが、果たしてあれが「魂をのみ込んだ」のかどうか…と疑っているからです。関内の腹中から声がするとか、関内の体に式部平内の人面瘡ができるとかならまだしも、彼は関内の体の外部に出現して、しかも三人の家来の言によれば湯治にさえ行っているとか。
 もし「魂をのみ込んだ」のが事実だとしたら、出入りが自由すぎる。寧ろ、憑いている、と解釈した方がよいのかもしれません。

【参考文献】
上田和夫訳『小泉八雲集』新潮社(目次)

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コーヒーカップの中

小泉八雲「果心居士のはなし」

あらすじ…果心居士が地獄絵の掛け軸を織田信長に見せる。信長はその掛け軸を欲しくなるが…。

 物語の最後の方で、明智光秀が本能寺の変を起こして信長を殺した後、果心居士を饗応するくだりが出てきます。
 しかしこれは時間的・心理的にありそうにない。というのは、俗に三日天下と呼ばれるくらい明智光秀の天下は短く、しかもその短い間も光秀は信長の首を探して本能寺の焼け跡にとどまったり、羽柴秀吉や柴田勝家など絶対に自分を許さないであろう旧信長軍団への対策や、娘婿の細川などへの懐柔など、多忙を極めていたからです。
 三日天下ではなくて三年天下だったら、こんな展開もありえたかもしれません。

【参考文献】
上田和夫訳『小泉八雲集』新潮社(目次)

【果心居士関連記事】
井沢元彦「賢者の復讐」

小泉八雲「死骸にまたがる男」

あらすじ…離縁されて憤死した女の死体の様子が異常であった。元夫が陰陽師に相談すると、陰陽師は彼に、その死体に一晩中またがっているよう指示して立ち去る。夜、死体が動き出し…。

 この話の最後の方で、作者(小泉八雲)はこんなことを述べています。

 この話の結末は、どうも道徳的に満足できるようには思われない。この死骸にまたがった男が発狂したとも、髪が白くなったとも記録されていない。ただ、「男泣く泣く陰陽師を拝しけり」と述べられているだけである。この物語につけてある注記も同じように失望すべきものである。(P26)

 注記の引用は省くが、上記の最後の一文からして、作者がこの話の結末に失望していることは明らかです。
 だがちょっと待ってほしい。いかなる話も、道徳的に満足できるものでなければならない、という制約があるわけではない。常人には理解できない話や、人間の倫理を超えた話などいくらでもあるからです。
 寧ろこの話の醍醐味は、死体が動き出して男を殺そうとすることと、当の標的がその死体にまたがってその様子をまざまざと見せつけられる恐ろしさがあります。道徳よりも恐怖が勝っている、と言ってよいかもしれません。

【参考文献】
上田和夫訳『小泉八雲集』新潮社(目次)

小泉八雲「衝立の乙女」

あらすじ…篤敬という若い書生が、衝立に描かれた乙女に恋をし、とうとう病気になってしまった。老学者が相談に乗り、彼にアドバイスをする。

 二次元の女性に恋をする話は、江戸川乱歩の「押絵と旅する男」も然り。もっとも、話としては「衝立の乙女」の方が古い。
 それはさておき、老学者のアドバイスの中に、「百軒のちがう酒屋で買った酒を一杯、女に差し出す」(P21)というものがありました。おそらくは酒屋を100軒巡って酒を少量ずつ買い求め、それを混ぜ合わせたものを一杯、差し出すのでしょう。しかしこれは何の意味が?
 そこでハタと思い至ったのが、お百度参りです。寺社に百度お参りすることで神仏に願いをかなえてもらうという呪的行為で、百軒の酒屋巡りもこれに類するものではないでしょうか。

【参考文献】
上田和夫訳『小泉八雲集』新潮社(目次)

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