東京都千代田区の佐久間公園にある、戦災殉難者慰霊碑を解読してみました。

【碑文】
(表)
戦災殉難者慰霊碑
鳩山一郎・書
(裏)
大東亜戦爭ようやく終局に近く 大編隊による空襲は
夜を日についで苛烈をきわめ 遂に淺春風未だ寒き昭和
二十年三月九日夜半 大東京一圓 空前絶後の大空襲を
蒙り この地秋葉原東部地區も亦免るる能はず 沛雨に
も似る焼夷弾と 〇(※犬が3つ)風に乗る紅蓮の火焔に 阿修羅と現
身 阿鼻叫喚 酸鼻の巷と化す 時に當地區警防團を主
体とし 老若男女擧げて防火警防につとめ 死力を〇(※尸に貝3つ)し
て この地の防災に當ると雖も 精竭き根果て 劫火に
其身を焼き其の命をおわる これを想起するに悲痛窮り
て言をなさず 嗚呼 この悲壮にして崇高なる精神は
何に由来するものぞ そは嘗てその日即ち大正十二年九
月一日の關東大震災の際町民一体となりて この地を災
火より防守りたる 社會連帯の郁々たる精神に根源せる
茲に難に殉ぜる四百余の霊を慰め 永久に其犠牲の精
神を傳へ 世の指標をなすため 十三回忌を期し 神田
明神に建立の供養塔を此處に移し 秋葉原東部連合町會
傳統の志を舒べて記念とする
昭和三十二年三月九日
秋葉原東部連合町會建之
佐久間町三丁目町會
和泉町町會
佐久間二丁目平河町會
佐久間四丁目町會
佐久間一丁目町會
松永町町會
元久右衛門町一丁目町會
元久右衛門町二丁目町會
八名川町町會
練塀町町會
神田川米穀市場組合
【現代語訳】
大東亜戦争がようやく終局に近付いた頃、(B29の)大編隊による空襲は、夜を日に次いで苛烈を極め、ついに、早春の風がいまだ寒い昭和20年(1945年)3月9日夜半、東京一円が空前絶後の大空襲を受け、この地、秋葉原東部地区もまた(空襲を)免れることができず、激しく降る雨のような焼夷弾と、つむじ風に乗る紅蓮の火炎に、阿修羅が出現したかのような阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。その時、当地区の警防団を主体として老若男女が集まって防火警備につとめ、死力を尽くしてこの地の防災に当たったのだが、精根尽き果てて、業火にその身を焼かれて死んだ。これを思い出すと、悲痛のあまり何も言えない。ああ、この悲壮で崇高な精神は、何に由来するものか? それはかつて、大正12年(1923年)9月1日の関東大震災の際、町民が一体となってこの地を火災から守った、社会の連帯の盛んな精神を根源に持つものである。
ここに、災難に殉じた400余名の霊を慰め、永久にその犠牲の精神を伝え、世の指標とするため、十三回忌の時に、神田明神に建立した供養塔をここに移し、秋葉原東部連合町会の伝統の志を述べて記念とする。
昭和32年(1957年)3月9日
秋葉原東部連合町会がこれを建てる。
鳩山一郎は第52~54代内閣総理大臣。
それから、碑文中にある大空襲とは、昭和20年3月9日から10日にかけて行なわれた東京大空襲。又、関東大震災にも言及していますが、その時の活躍については「防火守護地の碑(和泉公園)」を参照されたし。戦災殉難者慰霊碑がある佐久間公園と、防火守護地の碑がある和泉公園は近い距離にあるので、両方に足を運んでみるといいでしょう。
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