修行大師像(善養寺)
東京都江戸川区の善養寺(小岩不動尊)にある、修行大師像の碑文を解読してみました。
【碑文】
(台座・正面)
壱千百五十年御遠忌記念
弘法大師修行御影
昭和五十九年五月廿一日建立
(台座・左面)
同行和讃 当山三十五世 名取盛雄詩曲
なアがきうきよのたびまくらア
むみょうオのゆめをオさませよとオ
一、長き浮世の旅枕 無明の夢をさませよと
ニ、大悲留身のご誓願 今も昔にかわりなく
三、導に迷う人の世の 遍路修行の友となり
四、慈尊竜華の朝まで 世々の衆生を守り給う
五、嬉しやご縁結ばれて 今生後生の二世かけ
六、御恩いただくとうとさに 打ちふる鈴の音も冴えて
御詠歌
あなうれし行くもかえるもとどまるも
われは大師とふたりづれなり南無遍照尊
碑文中では、ところどころ振り仮名があります。大抵は振り仮名がなくても間違えずに読めますが、ちょっと難しいところや間違えやすいところもあり、それらを指摘しておくと、導(しるべ)、朝(あした)、守(も)、鈴(れい)、音(ね)となります。ご注意を。
次に、同行和讃について。
和讃とは、ともすれば難しい仏の教えを簡単に説いたものなのですが、こちらの同行和讃は、凡愚の私には一読してなかなかに理解が困難なものに感じられました。
しかし凡愚なりに調べて凡愚なりに解読してみることに。間違っているかもしれませんが、その時はご容赦のほどを。
さて、そもそもこの和讃が修行大師像の台座にあるということは、この和讃自体がそれに関連したものであると見ていい。とすると、タイトルの「同行」とは同行二人のことだな。同行二人とは、お遍路をする時は弘法大師空海も必ず同行しているとする思想です。碑文末尾の御詠歌も、同行二人をうたっています。
それから大悲は仏の広大な慈悲。留身は留身入定(るしんにゅうじょう)のことか。留身入定とは、空海が高野山で入場した後も、生けるが如く廟中にあること。
又、「慈尊竜華の朝」とは、遠い未来に弥勒菩薩が竜華樹の下で悟りを開いて三回にわたって説法をするという、竜華三会(りゅうげさんえ)のことだと思われます。
長々と述べてきましたが、要するに同行和讃は、はるか遠い未来まで同行二人をやって下さる弘法大師のありがたさを説いたものだ、と私は解釈しました。
【関連記事】
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