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京急発祥之地碑(川崎大師駅前)

 神奈川県川崎市幸区の川崎大師駅前にある、京急発祥之地碑を解読してみました。

京急発祥之地碑

【碑文】
(正面)
発祥之地
京浜急行電鉄株式会社

(台座・正面)
 京浜急行電鉄株式会社は、明治三十一年二月二十五日
大師電氣鐡道株式會社として設立され、翌明治三十二年
一月二十一日、川崎六郷橋~川崎大師間の営業を開始した。
 開業時の資本金は九万八千円、営業路線は単線二粁、
車両数は五両で開業当時の営業報告書には、次の通りに
記されている。
 
 全般ノ機械運轉上成績好結果ニシテ一日モ運轉ヲ中止セ
シ事ナク即チ五月丗一日ニ至ル本期間ノ営業日数ハ一百三
十一日ナリシ而シテ乘客ハ相應ニ多ク毎月廿一日ノ如キハ
非常ノ雑踏ヲ極メシモ線路ノ單線ナリシト車輛ノ不足ナリ
シ爲メ充分ニ乘客ヲ運ビ能ハザリシノ感アリ本期間平均一
日一哩ノ乘車賃ハ五拾円九拾錢二厘ニ相当セリ 元来本社
ハ関東ニ於ケル電氣鐡道ノ嚆矢ニシテ成績ノ如何ハ将来電
氣鐡道事業ノ発達ニ重大ナル関係ヲ有セシモノナリ
幸ニシテ今ヤ営業初期ニ於テ相應ナル純益配当ノ報告ヲナ
スヲ得ヌ運轉開始以来一人ノ負傷者ヲ生ズルナク毎月廿一
日ノ如キ数萬ノ老幼群集シ往来織ルガ如キ場所ニ於テ乘客
ヲ滿載シ乍ラ一日貮百五六十回余ノ運轉ヲナシテ過チナカ
リシハ實ニ本社ノ幸福ニシテ亦以テ電氣鐡道ノ市街交通機
関ニ適シ更ニ危害ノ虞レナキヲ表示スルヲ得タルモノナリ
 
 かくて好調裡に営業を開始した大師電鐡は同年四月京
濱電氣鐡道と改称昭和二十三年六月京浜急行電鉄となり
逐次事業の拡張を図って今日の隆昌をみるに至った。
 ここに創立七十周年に当り
会社設立発起人代表立川勇次郎はじめ先人の遺徳を偲び
大師電鐡発祥のこの地に本記念碑を建立する。
  昭和四十三年十二月二十一日
          京浜急行電鉄株式会社

(台座・背面)
東京 青山
  石龍刻

 粁はキロメートル、哩はマイルの意。
 さて、碑文中に「当時の営業報告書」が引用されていますが、これを現代語訳してみました。

【現代語訳】
 機械全般の運転結果が良好だったので、一日たりとも運転を中止することなく、(2月25日から)5月31日に至る本期間の営業日数は131日となった。そして乗客はそれなりに多く、(川崎大師の縁日である)毎月21日になると非常に混雑することになったが、線路が単線であることと車両が不足しているため乗客を十分に運ぶことができないようであった。本期間、1マイルの乗車賃は、一日平均50円90銭2厘に相当した。そもそも本社は関東における電車の先駆をなすもので、営業成績次第では将来の電車事業の発展に重大な影響を与えるものである。
 幸いにして、今、営業初期においてそれ相応の純利益と配当の報告を出すことができ、又、運転開始以来1人の負傷者を出すことなく、毎月21日のような数万人の老若男女が集まってごった返すような場所で乗客を満載しながら一日250~60回余りの運転をして事故がなかったのは、本社にとって幸いであり、それと共に電車が市街地の交通機関に適していて危険性がないことを示すことができたのである。

 引用されている営業報告書を読むと、新しい鉄道がうまく行っているぞという高揚感が伝わってきます。
 それにしても、明治32年(1899年)に電気鉄道(電車)が走っていたとは意外でした。もっと後だと思っていましたわ。
 ちなみに、明治32年(1899年)1月は、『中央公論』が創刊されています。

【鉄道関連碑】
井上勝像(東京駅丸の内北口付近)
中央鉄道学園記念碑(武蔵国分寺公園)
鉄道唱歌の碑(JR新橋駅前)
鉄道発祥記念碑(桜木町駅)

【鉄道映画】
オリエント急行殺人事件(1974年)
オリエント急行殺人事件~死の片道切符~
軍用列車
世紀のフライト
つばめを動かすひとたち
鉄道の惨劇
バルカン超特急

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