延命地蔵尊の由来の碑(飯田堀延命地蔵尊)
東京都新宿区の飯田堀延命地蔵尊にある、延命地蔵尊の由来の碑を解読してみました。
【碑文】
延命地蔵尊の由来
その昔、この辺り一帯を飯田濠と稱し、神田川と江戸城
外濠との遊水地帯をなした所であります。
凡そ今から三百年前、房総、駿河遠くは関西方面より
海路を辿り、墨田川、神田川、こゝ飯田濠へと、山海の物資
が連日船便で搬入され、其の荷揚場として栄え、人々の
出入も多く市場をなして山の手随一の盛り場を呈したとこ
ろであります。現在の神楽河岸、揚場町などの地名は当時
の繁栄を物語る名残りであります。
この河川筋には民家も密集し、随って水による事故も
多発した場所でありました。
延命地蔵尊は天和・貞享(一六八一年)の江戸時代から
明治、大正、昭和に至るまでのこの河川で水難により犠牲
となった童児や、江戸城改修に際し、市谷、牛込、小石川
等、外濠工事に従事して作業中事故にあった人々を祀っ
たものであります。
江戸末期まではこの附近数ヶ所に粗末な祠など点在して
いたものを信仰厚い町人たちによって飯田濠端の一ヶ所に
合祀されておりました。
昭和五十八年(一九八三年)飯田濠再開発に際し、東京都
より埋立たこゝ公有地の一角の寄進を受け、飯田橋自治会
及び地元有志により堂宇を建立し新たに御本尊を安置して
地域住民の繁栄と、災害防止、延命長寿を祈念し、永く
延命地蔵尊の功徳を仰ぐものであります。
昭和六十三年七月
延命地蔵尊
奉賛会
飯田濠の歴史及びこの飯田堀延命地蔵尊の由来を述べています。
江戸の町を舞台にした時代劇を観ていると、たまに水路を舟で移動するシーンが出てきます。江戸は水路が発達した都市であり、この飯田濠もその一翼を担っていたということです。
【延命地蔵尊関連記事】
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