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淺右衛門之碑(祥雲寺)

 東京都豊島区の祥雲寺にある、淺右衛門之碑を解読してみました。

淺右衛門之碑

【碑文】
(表)
淺右衛門之碑
山田氏の先は六孫王源基經に出づ始祖貞武
資性〇(※人偏に周)儻不羈武を好み山野氏に從て刀術を
修め其妙を極む江戸平河に住し淺右衛門と
稱す子孫之を其家號となす二世吉時徳川家
の御腰物御様御用を勤め傍首打同心の代役
を兼ぬ後世職となり三世吉繼四世吉寛相承
け五世吉睦山田流据物刀法を大成し又刀劔
鑑定家として名聲籍甚たり六世吉昌七世吉
利八世吉豐皆能く箕裘の業を紹恢し敢て家
聲を堕さず以て明治維新に至る今や繼嗣絶
え墳墓亦殆ど壊滅に歸せり仍て同志胥謀り
世系事蹟を石に勒し祥雲寺の境内に建て且
髻塚を修造し以て後に貼すと云爾
 昭和十三年十月九日 東皐 鴇田惠吉撰

(裏)
始祖 孤峻院冬雲常雪居士 享保元年十二月十八日歿
二世 慈仙院即住直心居士 延享元年四月十九日歿
(※中略)
八世 性善院秀様吉豐居士 明治十五年八月十三日歿
 
昭和十三年十一月十七日/瑞鳳山三十世篤仙賴應代 造立
 
西澤賴應  山田素傳
鴇田惠吉  古藤文子
玉林繁   篠田鑛造
永島孫一  望月茂
 旭洲 佐藤武三郎書 鈴木金次〇(※金偏に隹と乃)

【現代語訳】
   浅右衛門の碑
 山田氏の先祖は六孫王源経基より出ている。始祖の貞武は生まれつき物事にこだわらず何物にも束縛されなかった。武を好み、山野氏から剣術を学び、その妙技を極めた。江戸平河に住み、浅右衛門と称した。子孫はそれを当主の名とした。二代目の吉時は徳川家の御腰物御様御用(おこしものおためしごよう)を勤め、そのかたわら首打同心の代役を兼ねた。後に(首切りが)世襲の職となり、三代目の吉継、四代目の吉寛に継承され、五代目の吉睦は山田流据物刀法を大成し、又、刀剣鑑定家として名声・評判を高めた。六代目の吉昌、七代目の吉利、八代目の吉豊は皆、よく祖先の業を見習い受け継いで大きく発展させ、家の名声を落とさずに明治維新に至る。
 (しかし)今では後継ぎが絶えてしまい。墓がほとんど壊れてしまった。そこで有志が集まって相談し、(山田氏の)家系と事績を石碑に刻んで祥雲寺の境内に建て、そして髻塚を修理・造成して後世に残すことにする。
 昭和13年(1938年)10月9日  東皐 鴇田恵吉撰文

 首切り浅右衛門こと山田浅右衛門の石碑。こちらの石碑では八代目までとなっていますが、調べてみたら九代目までいました。
 それから、碑文中で言及されている髻塚(もとどりづか)は確認できず。私が訪問した時は工事が入っていて境内が騒がしく(お邪魔してしまいすみません…)、私も当日は他に行くところがあって境内を隅々まで探索できなかったのです。
 さて、碑文を読むと山田氏は継嗣が絶えたとあります。これは無理からぬことで、日本では明治の文明開化に伴って斬首刑が廃止されてしまったからです(絞首刑になって今に至る)。もちろん死体を使っての刀の試し切りなどもできなくなりました。これでは首切りの活躍の場がありません。
 明治以後にも通用する家業が山田家にもあれば存続していたかもしれませんな。

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