武田静澄著『日本の伝説の旅(下)』社会思想研究会出版部(3)源範頼の生存伝説
源義経は実は生きて脱出した、という話はあまりに有名ですが、兄の源範頼にもそんな話がありました。
範頼は義朝の六子で、母が遠江<とおとうみ>池田宿の遊女で蒲の冠者とよばれていたので、範頼もまた蒲の冠者を名のった。兄頼朝のために修善寺の塔頭<たっちゅう>信功院にとじこめられ、建久四年(一一九三)八月、梶原景時の来襲をうけて火をはなって死んだとあるが、ほんとうはひそかにのがれて、霊石山の最勝寺にひそみ、僧となって教頼法師とあらためて、この寺で没したといわれている。(P144)
修善寺は静岡県、霊石山の最勝寺は鳥取県にあります。
それにしても、源平の合戦において範頼は義経に較べてあまりパッとしませんでしたが、こちらの伝説においてもあまりパッとしません。正直言って地味です。
それから「教頼」という名前を訓読みすると「のりより」になることに気付きました。これは範頼の読みと一緒です。
愚考するに、教頼という僧が実際にいて、名前を訓読みにすると「のりより」になることから、「あれは実は源範頼だ」と噂する者がいたのでしょう。教頼法師にとっては迷惑な話ですな。
【参考文献】
武田静澄著『日本の伝説の旅(下)』社会思想研究会出版部
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