愛知県の熱田神宮に、かつて楊貴妃の墓があったことが書かれています。
尾張の熱田(名古屋市熱田区新宮坂町熱田神宮・東海道本線熱田駅の西南約三〇〇メートル)では、「楊貴妃<ようきひ>」の謡<うたい>をうたうことが禁じられている。これはもとこの境内に蓬來宮<ほうらいくう>といって、楊貴妃(唐の玄宗のきさきで、安禄山の反乱によって追われ、その反乱の原因は楊貴妃にあるとして、のちに殺された)の墓があったからであった。中国の美妃の墓が日本にあるというのもおかしな話である。(P219)
楊貴妃についての説明は引用文中にて簡単に述べられているので、ここでは繰り返しません。
それから著者は楊貴妃の墓が日本にあるのは「おかしな話である」と述べていますが、世の中にはもっとおかしな話があるもので、なんと青森県にはイエス・キリストの墓があるのです! とまあ与太話はさておくとして、私は八百屋お七や丸橋忠弥の墓を見たことがあるのですが、いずれも当人の死後すぐに葬ったところというより、後の時代になって「有志」が建てたものといったところです。従って、楊貴妃の墓もそれらと同類なのではないかと思ってしまいます。
ちなみに本書には、楊貴妃の墓がその地にある理由として、以下の伝説を紹介しています。
玄宗は東方の楽土を攻めとる夢をもっていたので、熱田の神は東征の野望をくじくために、楊貴妃という傾国の美姫をつかって、年来のこころざしを捨てさせた。(P252)
引用文中の「東方の楽土」とは日本のことだと思われます。又、唐王朝は中国の歴代王朝の例に漏れず周辺諸国への外征をやっているし、日本とも戦っています(白村江の戦い)。だから、日本征服の可否はともかくとして、唐の皇帝がそのような野望を抱いていると日本が警戒するのはおかしくありません。
それにしても、熱田の神がハニートラップを仕掛けたというのですか。古典風に言うなら美人計で、これは相手国の君主を美女に溺れさせて衰えさせるというものです。愛欲に溺れれば単純に肉体が衰えるし、政務がおろそかになって国が乱れるもととなります。楊貴妃の場合は絶大な効果を発揮し、安禄山の乱が起こって唐は内戦状態に陥ります。こうなるともう、外征どころじゃない。
皇帝は蜀<しょく>の国にのがれたが、楊貴妃は捕らえられて馬巍ガ原<ばかいがはら>で殺された。その魂は東方の楽土にとんできて住んだ。しかし、その地が熱田であった。(P252-253)
楊貴妃は役目を果たしたので、プロデューサーである熱田の神のもとへ戻ってきた。そして熱田神宮では彼女のために立派な墓を建ててその功績に報いた、と。ほんとかよ。
【参考文献】
武田静澄著『日本の伝説の旅(上)』社会思想研究会出版部(目次)
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