加藤林蔵墓碑(妙延寺)
東京都練馬区の妙延寺にある、加藤林蔵墓碑を解読してみました。
【碑文】
加藤林蔵墓碑
子は加藤兼吉の次男にして明治十三年一月十日本村に
生る明治三十二年十二月一日徴されて兵役に服し野戰
砲兵第十八聯隊に入り二等卒となる明治三十三年北清
事起るや派遣の軍に加はり同年八月七日營舎を發し同
月十五日清國大沽に上陸す爾後天津の門外に屯し以て
命を待つ然るに偶病に罹り同月二十八日塘沽の兵站病
院に入り遂に同月二十九日を以て歿す
明治三十四年九月二十日 加藤安五郎建之
【現代語訳】
加藤林蔵墓碑
この人は加藤兼吉の次男で、明治13年(1880年)1月10日、本村にて生まれた。
明治32年(1899年)12月1日に徴兵されて兵役に服し、野戦砲兵第18連隊に入り、二等卒となった。明治33年(1900年)、北清事変(義和団の乱)が起こると派遣の軍に加わり、同年8月7日に兵舎を出発し、同月15日に清国の大沽に上陸した。その後、天津の門外に駐屯して命令を待つことに。しかし、運悪く病気となって同月28日、塘沽の兵站病院に入り、ついに同月29日に没した。
明治34年(1901年)9月20日 加藤安五郎これを建てる。
裏側は立ち入ることができなかったので、墓碑の裏面は確認できませんでした。
それから碑文では変体仮名が少々用いられていました。
次に、碑文を読んでみると、事実のみを淡々と述べていることに気付きました。墓碑銘なら故人の人となりや特筆すべき功績を記してもおかしくはないのですが、そんなものは一切ありません。ああ無情。
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