成田山永世護摩講の碑(大)(喜多見不動堂)
東京都世田谷区の喜多見不動堂にある、成田山永世護摩講の碑(大きい方)を解読してみました。尚、小さい方はこちら。
【碑文】
(表)
成田(山)
永世護摩講
世話人
牟礼村 高橋友一郎
仝 亭之輔
仝 淀吉郎
仝 藤助
仝 網五郎
■橋徳松
増田弥助
泰埜松五郎
栗原平右エ門
板橋喜三郎
小林紋十郎
板橋藤右エ門
仝 徳二郎
飯野久蔵
高橋留五郎
小林鍋蔵
五力田村井上ハツ
石川村 横尾藤五郎
作延村 大■仲蔵
(※以下、氏名多数につき、これを省略)
(裏)
明治廿一年子五月建之
明治十九年八月十五日出張
北多摩郡牟禮村
行者高橋性善
登戸村
石工 吉澤藤吉
※■は解読できず。
この石碑は左上が欠損しており、欠落した部分には「山」の字があったものと思われます。ちなみに成田山とは成田山新勝寺のことで、新勝寺の本尊は喜多見不動堂と同じく不動明王。
それから、北多摩郡牟礼村は現在の東京都三鷹市。五力田(ごりきだ)村は現在の神奈川県川崎市麻生区。作延(さくのべ)村は現在の神奈川県川崎市高津区。石川村は複数あったので特定できず。
さて、石碑裏面を読むと、明治19年(1886年)8月15日に北多摩郡牟礼村の行者・高橋性善が出張とあります。どこへ? 書いてありませんが、こちらの喜多見不動堂と考えるのが自然です。何をしに? 行者が出張してくるということは、何らかの宗教儀礼・呪術行為を目的としたのでしょう。しかも、その翌々年の明治21年(1888年)5月に石碑を建てて裏面にそのことを刻字するほどのものだったようです。
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