櫻田殉難八士之碑(豪徳寺)
東京都世田谷区の豪徳寺にある、櫻田殉難八士之碑を解読してみました。尚、この碑は井伊直弼の墓の裏側に立っています。この位置は見落としやすい。
【碑文】
(表)
櫻田殉難八士之碑
(裏)
萬延元年三月三日櫻田之變死之者
八人曰日下部三郎右衛門令立河西
忠左衛門良敬澤村軍六之文小河原
秀之丞宗親越石源次郎満敬永田太
郎兵衛正備加田九郎太包種岩崎徳
之進重光今茲二十七回忌辰樹石於
先考墓側以表忠節云
明治十九年三月廿八日
従四位勲三等伯爵井伊直憲識
【読み下し文】
櫻田殉難八士の碑
萬延元年三月三日、櫻田の變に死す者八人。曰く、日下部三郎右衛門令立、河西忠左衛門良敬、澤村軍六之文、小河原秀之丞宗親、越石源次郎満敬、永田太郎兵衛正備、加田九郎太包種、岩崎徳之進重光。今ここに二十七回忌の辰(とき)、先考(公?)の墓の側に石を樹(た)て以て忠節を表わすと云う。
明治十九年三月二十八日
従四位勲三等伯爵井伊直憲識(しる)す。
【現代語訳】
桜田殉難八士の碑
万延元年(1860年)3月3日、桜田門外の変にて死んだ者8名。すなわち、日下部三郎右衛門令立、河西忠左衛門良敬、澤村軍六之文、小河原秀之丞宗親、越石源次郎満敬、永田太郎兵衛正備、加田九郎太包種、岩崎徳之進重光である。今ここに27回忌の時に当たり、石碑を先代当主(井伊直弼)の墓の側に立てて、それによって(彼らの)忠節を表彰する。
明治19年(1886年)3月28日
従四位勲三等伯爵・井伊直憲記す。
桜田門外の変で闘死した彦根藩士8名の顕彰碑。
碑文は漢文ですが、さほど難しいものではないので、解読は楽でした。とはいえ、注意を要する点がなきにしもあらずだったので述べておくと、辰・樹・考の3文字にはご注意を。
辰は手許の漢和辞典(旺文社)を引くと「とき」の意味があったのでそれを採用。樹は樹立という語があることから「たてる」の意味に取れます。それから「先考」は「先公」の誤りじゃないかと思いました。それなら意味が通ります。
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