彰忠碑(荻窪八幡神社)
東京都杉並区の荻窪八幡神社にある、彰忠碑を解読してみました。
【碑文】
彰忠碑
希典書
(傍の碑・表)
先年桃井第一小学校庭に建てられた
本碑は大東亜戦爭の直後故あつて地
中に埋められて居たが今回有志者に
よつて此の地を相し再建して以て永く
其の遺芳を偲ばんとするものである
昭和参拾壱年六月
(傍の碑・裏)
彰忠碑再建協賛会發起人
内田秀五郎 井口金蔵
井口泰吉 小張兼太郎
鈴木兼吉 梅田銈治
栗原伊三郎 宇田川太一
小俣富蔵 清水儀次
外協賛会員 百七拾六名
宮司小俣金治撰文並書
協賛会員名簿は社務所に保管す
彰忠碑の周囲には立ち入ることができなかったので、彰忠碑の裏側は確認できませんでした。それから希典は乃木希典。
次に、傍の碑について。こちらは彰忠碑が荻窪八幡神社に再建されることになった経緯が簡潔に記されています。
なぜ彰忠碑が地中に埋められることになったのか具体的には書いてありませんが、おそらくはGHQから「軍国主義を賛美するものは撤去しろ」との指令が出たのでしょう。靖国神社にある「常陸丸殉難記念碑」と同様です。
それから、同神社の境内にある「小俣金治先生之像」の碑文によると、宮司の小俣金治は桃井小学校の教員だったとのこと。
又、発起人の中に内田秀五郎の名前があります。彼は東京都議会議長を務めた、地元出身の政治家です。
尚、昭和31年(1958年)6月は、エジプトでナセルが大統領に就任しています。
最後に、こんな字があったので紹介します。
文の下に子で、学の俗字です。こんなものがあったのか…。
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