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ヤン・ヨーステン記念碑(日本橋3丁目八重洲通中央分離帯内)

 東京都中央区の日本橋3丁目八重洲通中央分離帯内にある、ヤン・ヨーステン記念碑を解読してみました。

ヤン・ヨーステン記念碑

【碑文】
(向かって左)
ヤン・ヨーステン 1557頃~1623
1600年(慶長5年)、オランダ船リーフデ号でウイリアム・アダムスらと豊後に漂着した。そのまま日本に留まり、徳川家康の信任を得て、外交や貿易について進言する役目についた。彼の江戸屋敷は現在の和田倉門―日比谷間の内壕の沿岸に与えられ、この地が彼の名にちなんで八代洲河岸(やよすがし)を呼ばれて、明治まで続いた。現在は中央区の八重洲としてヤン・ヨーステンに因む地名が残っている。
    ヤン・ヨーステン像:オランダ人 L.P.ブラート作

IN HET JAAR 1600 STRANDDE JAN JOOSTEN MET ZUN SCHIP 'DE LIEFDE',(以下略)

(向かって右)
日本とオランダの関係は、ウイリアム・アダムスやヤン・ヨーステンらの来航によって始まった。1609年(慶長14年)平戸のオランダ商館が設立され(後に長崎に移る)、鎖国時代の日本のヨーロッパに対する唯一の窓口になり続けた。オランダがもたらした学術・文物が日本に与えた影響は大きく、明治以後の日本近代化の大きな礎になった。とくに中央区とオランダとの歴史的な関係も深く、日蘭修好380周年を記念してここにモニュメントを設置し、永久にこの友好を保存するものである。

DE BETREKKNGEN TUSSEN JAPAN EN NEDERLAND(以下略)

   1989年4月20日  東京都中央区

 オランダ語の文章は文字が小さいのに読みにくく、そもそも私はオランダ語がわからないので、大部分を省略しました。
 それから碑文中にて言及されているウイリアム・アダムス(ウィリアム・アダムス)ですが、彼に関しては「史蹟三浦按針屋敷跡の碑(按針通り)」を参照されたし。
 次に、オランダがもたらした学術・文物といえば、代表的なものは『解体新書』でしょうな。
 それにしても、この記念碑のヤン・ヨーステンはすごいギョロ目です。インパクトあるなあ。

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