史蹟三浦按針屋敷跡の碑(按針通り)
東京都中央区の按針通りにある、史蹟三浦按針屋敷跡の碑を解読してみました。
【碑文】
史蹟
三浦按針屋敷跡
IN MEMORY OF
WILLIAM ADAMS, KNOWN AS MIURA ANJIN,
THE FIRST ENGLISHMAN TO SETTLE IN JAPAN,
COMING AS PILOT ON BOARD THE CHARITY IN 1600,
WHO RESIDED IN A MANSION BUILT ON THIS SPOT,
WHO INSTRUCTED IYEYASU, THE FIRST TOKUGAWA
SHOGUN, ON GUNNERY, GEOGRAPHY, MATHMATICS,
ETC., AND CONSTRUCTED FOR HIM SEVERAL SHIPS
ON THE EUROPEAN MODEL, WHILE RENDERING
VALUABLE SERVICES IN FOREIGN AFFAIRS, AND
WHO MARRIED A JAPANESE LADY, MISS MAGOME.
AND DIED ON APRIL 24 1620, AT THE AGE OF
FIFTY SEVEN YEARS.
REBUILT BY SOME JAPANESE, MAY 1951
ウィリアム・アダムスは西暦1564年イギリスのケン
ト州に生れ,慶長5年(1600)渡來,徳川家康に迎えられ
て江戸に入り,この地に屋敷を給せられた。造船・砲術・
地理・數學等に業績をあげ ついで家康・秀忠の外交特に
通商の顧問となり,日英貿易等に貢獻し,元和6年(1620)
4月24日平戸に歿した。
日本名三浦按針は相模國三浦逸見に領地を有し,また
もと航海長であつたことに由來し,この地も昭和初年まで
按針町と呼ばれた。
英文と日本語文章の内容が少し違います。英語がわかる方は英文をお読みになって下さい。又、英語がわからない人は和訳しておきましたのでそちらをどうぞ。
【拙訳】
ウィリアム・アダムス追憶
彼は三浦按針として知られており、日本に最初に移民したイギリス人であり、1600年に航海士として乗った船が漂着して来日し、この地に建てられた邸宅に居住し、徳川幕府初代将軍・家康に砲術・地理・数学等を教え、彼(家康)のためにヨーロッパ形式の船を数隻建造した。諸外国の事情を教えるかたわら、日本人女性の馬込氏と結婚し、1620年4月24日に死去。享年57歳。
1951年5月に幾人かの日本人によって再建。
この英文、文章としては下手な部類に入るんじゃないでしょうか。"WHO"を多用しすぎで文章の区切りも悪い。おかげで私の訳文も読みにくさがあります。
ちなみにこの石碑は1951年5月に再建されたとあります。そこでもしも再々建されることがあるとしたら、もうちょっとうまい英文に改められることを望みます。「そのまま残すべきだ」という意見もわかりますが、それにしたってこれは書き直した方がいい。特に、日本語の文章に書いてあって、英文には書いていないところなどは。
それから最後に一つ。ここから南に行ったところに、「ヤン・ヨーステン記念碑(日本橋3丁目八重洲通中央分離帯内)」があり、その碑文にウィリアム・アダムスへの言及があります。そちらも併せてチェックしてみてはいかがでしょうか。
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