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清水瀞庵翁紀功碑(植竹稲荷神社)

 埼玉県さいたま市の植竹稲荷神社にある、清水瀞庵翁紀功碑を解読してみようと思ったのですが、碑文が近くの説明板に書いてありました。ただ、その説明板には現代語訳が付いていなかったので、私が現代語訳を付けてみることにしました。

清水瀞庵翁紀功碑

【現代語訳】
(中央の碑)
芳を留める
清水瀞庵翁の功績を記す碑

(傍の碑)
 清大園主・清水翁、名は利太郎、号は瀞庵という。明治7年(1874年)3月27日、東京の千駄木に生まれる。藤吉の長子である。家は代々、盆栽を稼業としていた。彼は家業を継いで、力を尽くして励み、抜きん出てすぐれ、その業界の重鎮となった。しかしながら、彼は都会の環境が盆栽の樹木の栽培に適していないことを度々問題視し、郊外に(盆栽の)絶好の地を求めようとして、各方面を探査して年を過ごしてきた。時に大正14年(1925年)3月、この地に思い定めて(自ら)率先して移住し、自らいばらを切り拓いて努力を重ねて大事業を成功させようとした。幸いにも鈴木楽三道・加藤留吉・西村勝蔵諸氏の協力を得て、事業の基礎が堅固なものとなる。話を聞いて各方面からやってくる者が加わり、ついに現在の盆栽村となり、盆栽業界の注目するところとなる。これは本当に、(清水)翁の先見の明と人の和を得たからで、思うにその功績は大きいと言えるだろう。ここに10周年記念に当たり、有志が集まって碑柱は伊予から、礎石は笹子渓谷から持ってきて石碑を建て、それによって同志を敬い仰ぐ気持ちを表わすことにする。
   昭和10年(1935年)3月  小野鐘山が題字を書き、撰文をして、文章を書く。

 大宮盆栽村の創立者・清水瀞庵の顕彰碑。尚、傍の碑の裏側には「寄附者芳名」と題して多数の氏名が書き連ねてありました。
 それから、題字の「留芳(芳を留める)」について。手許の漢和辞典(旺文社)によると、芳の字は「草花が香気を放つ意を表す」とのことで、「よいにおい」という意味があり、その他に「よい評判」という意味もあります。
 とすると、「芳を留める」というのは、清水瀞庵のよい評判をこの石碑に書き残しておくという意味に取れるし、盆栽村が運営されることで盆栽の草花が放つ香気がこの地に留まっているのだ、という意味にも取れます。

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