狐塚之霊碑(代田広場)
東京都世田谷区の代田広場にある、にある、狐塚之霊碑を解読してみました。尚、代田広場はちょっとわかりにくいところにあるので、行くのなら地図を携行することをお勧めします。
【碑文】
(正面)
狐塚之霊碑 栗原中
(右面)
郷社社司澄丈敬書
(背面)
明治五年之頃禍津日之受祟多
因託馬込村御嶽教中教正渡邊
壽■氏鎮祭其事矣建碑紀念
明治三十二年三月六日建之
栗原有志者
※■は解読できず。
【現代語訳】
明治5年(1872年)頃、よくない祟りを受ける者が多かった。
そこで馬込村の御嶽教の中教正・渡邊壽■氏に依頼して、(祟りを)鎮め、それ(狐塚)を祭った。石碑を建てて記念とする。
明治32年(1899年)3月6日、これを建てる。
栗原有志者
碑文中の馬込村とはおそらく東京府荏原郡馬込村のことで、現在の東京都大田区。この馬込村が存在したのは1889~1927年で、石碑が建てられた時期(1899年)と合致します。
それから中教正(ちゅうきょうせい)は宗教官吏・教導職の一種で、教導職は明治17年(1884年)に廃止されています。渡邊氏が祟りを鎮めた時には中教正だったのでその肩書きを記したのか、あるいは教導職の廃止後も渡邊氏が権威付けのために中教正の肩書を用い続けていたのか、その辺はよくわかりません。
最後に、祟りの具体的な描写がないのでこれは想像するしかないのですが、石碑正面に「狐塚之霊碑」とあることから、狐塚にまつわる祟りだと当時の人たちには認識されていたものと思われます。だとすれば、多くの祟りの中には狐憑きも相当数あったんじゃないかと想像致します。
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