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櫻木神社縁起略記の碑(櫻木神社)

 東京都文京区の櫻木神社にある、櫻木神社縁起略記の碑を解読してみました。

櫻木神社縁起略記の碑

【碑文】
   櫻木神社縁起略記
 櫻木神社は約五百年前 後土御門天皇の御宇文明年間に
太田道灌が江戸築城の際菅原道真公の神靈を京都北野の祠
より同城内に勧請せられたものを其後湯島高台なる旧桜の
馬場の地に神祠を建立してその近隣の産土神として仰がし
め櫻木神社と名付けられたといはれる 其後元禄三年徳川
綱吉が同所に御学問所昌平黌を設立するに当り更に現在の
地に遷座即ち今を去る実に二百七十五年前の事である。
 旧社殿は東山天皇の御宇の創建であるが六十四年を経た
桃園天皇の宝暦三年に改築爾来連綿実に百九十一年昭和の
大東亜戦爭により烏有に帰し假社殿であつたが氏子相図り
昭和三十四年九月新築落慶して今日に至つたものである。
然る所神社の周囲の玉垣老朽甚しく神徳を損ふことを憂え
本年之を再建せんとし幸い氏子有志の協力により これが
完成を見たのである。
   昭和四十年三月吉日  櫻木神社氏子中

 上記の文章を年代順に整理すると以下の通り。

文明年間(1469~1487年)     太田道灌が江戸築城に際し、北野天神を同城に勧請。
不明                   湯島高台にある旧桜の馬場に遷座。櫻木神社と呼ばれるように。
元禄3年(1690年)          昌平黌の設立に際して現在地に遷座。
東山天皇の御宇(1687年~1709年) 旧社殿を創建。
宝暦3年(1753年)          社殿改築。
大東亜戦争(1941年~1945年)   全焼。
昭和34年(1959年)9月       社殿を新築・落慶。
昭和40年(1965年)         玉垣再建。
昭和40年(1965年)3月       本石碑を建立。

 碑文を読んで気付いたのが、「後土御門天皇の御宇」「東山天皇の御宇」「桃園天皇の宝暦三年」と、時代を表わす指標として天皇を持ち出しているということです。普通は元号だけ書いておけば充分なのですが、わざわざ天皇にまで言及するということは、この碑文を書いた人は勤王家だったのかもしれません。

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