山田検校顕彰碑(江島神社)
神奈川県藤沢市の江島神社にある、山田検校顕彰碑を解読してみました。ちなみにこの石碑の近くに山田検校像があります。
【碑文】
宏達
源通久題
[印][印]
山田検校名は勝善通稱斗養一本姓は三田氏父名は了任母は山田
氏寶暦七年四月廿八日生る幼にして明を失ふ資性聰敏音律を解
す乃ち諸家に就きて筝を學び後山田松黒を師とし恩師慈母姓偶
合す因りて山田氏を冒す検校人となり温順平生争わす其の筝に
於けるや既に出藍の譽を馳せ後一家の風を成す新曲を製する甚
多し曲皆秀美或は華麗或は高雅或は凄婉或は幽峭聞く者感せさ
る無し是に於て上下翕然盛に山田流を稱し世乃筝を學ぶ者大半
其門に生づるに及べり當時舊曲を墨守する者囂然として譏誹せ
し■然も検校の徳の圓なると曲の美なるとて終にこれを如何と
もする能はさらし■■り検校文化十四年四月十日卒す今に至る
百年餘勲猶顕赫所謂山田流筝曲天下に盛行す嗚呼偉なる哉検校
の大名遺澤此像と共に永く不朽に存せり
大正六年四月十日 文學博士幸田成行撰 小野鵞堂書
※■は解読できず。
まずこれだけは言っておきたい。変体仮名が多すぎる。一例を挙げると…
これで「なると」と読みます。少なくとも私はそう解読しました。大正6年(1917年)の作品でこのレベルとなると、これはもうわざとやってるだろ、と思わざるをえない。おかげで解読にてこずり、全ての文字を解読することはできませんでした。
しかしながら、現代語訳できる程度には読めたので、解読はこれくらいにしておきます。続いて現代語訳をどうぞ。
【現代語訳】
山田検校の名は勝善。通称・斗養一。本姓は三田氏。父の名は了任。母は山田氏。宝暦7年(1757年)4月28日に生まれる。幼い頃に失明する。聡明な資質を持ち、メロディがわかったので、各方面に行って筝を学び、後に山田松黒を師とし、恩師と母親の姓がたまたま同じだったので山田姓を名乗った。(山田)検校は温厚な性格で、日頃から争いをせず、筝の腕前は師を超えたと言われるようになり、後に一家を形成した。新曲を多く製作し、曲はどれも秀美、あるいは華麗、あるいは高雅、あるいは柔らかで美しく、あるいは人里離れた急峻な山のようであり、(曲を)聴いて感動しない者はいなかった。そのため、みんな集まってさかんに山田流を称し、世の中の筝を学ぶ者の大半が山田流になった。当時、古い曲をかたくなに守る者はやかましく非難していたが、(山田)検校の性格がいいのと(彼の)曲が素晴らしいので、ついにどうしようもなくなってしまった。(山田)検校は文化14年(1817年)4月10日に死去。今に至るまで百年余り、その功績はいまだに明白で、いわゆる山田流はさかんである。ああ偉いことだ。(山田)検校の大きな名声と後世まで残る恩沢は、この像と共に長く朽ちることなく存在する。
大正6年(1917年)4月10日 文学博士・幸田成行撰文、小野鵞堂書
幸田成行とは幸田露伴のこと。小野鵞堂は書家。
それから、現代語訳で西暦を付けていて気付いたのですが、この碑は山田検校没後100年を記念して建てられています。
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