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皇太子殿下御野立之跡の碑(金毘羅神社 八坂神社)

 神奈川県横浜市緑区の金毘羅神社 八坂神社にある、皇太子殿下御野立之跡の碑を解読してみました。

皇太子殿下御野立之跡の碑

【碑文】
(正面)
皇太子殿下御野立之跡
   元帥子爵上原勇作謹書

(台座・正面)
客年十一月
聖上習兵于武相之■
東宮代統監之十九日行啓本郡
田奈村親登神明立観閲戦状庶
民歓喜不能惜因建石表其迹以
傳於千秋云
 大正十一年十一月
  神奈川縣都築郡長従七位伊藤龍雄謹誌

(向かって左手前)
十五糎射撃砲

※■は解読できず。

【読み下し文】
客年(※1)十一月
聖上(※2)武相(※3)の■に兵を習い、東宮(※4)代わりにこれを統監し、十九日、本郡田奈村に行啓し、親しく神明に登り、立ちて戦状を観閲す。庶民歓喜し、因て石を建ててその迹を表し以て千秋(※5)に傳うるを惜しむ能わずして云う。
 大正十一年十一月
  神奈川縣都築郡長従七位伊藤龍雄謹んで誌す

※1.去年。
※2.主上。この場合は大正天皇。
※3.武蔵国と相模国。
※4.皇太子。
※5.長年。

【現代語訳】
 去年11月、天皇は武相の■で軍事演習を行ない、皇太子が(天皇に)代わって(演習を)統監し、19日に都築郡田奈村に行啓し、自ら神明(社)に登り、立って演習の様子を観戦した。庶民はこのことを喜び、石碑を建てて御野立の跡を示し、それによって長い年月にわたって伝えずにはいられないことを言う。
 大正11年(1922年)11月
  神奈川県都築郡長・従七位伊藤龍雄、謹んで記す

 野立は貴人が一時的に留まること。そしてここにある皇太子とはその当時の皇太子、即ち後の昭和天皇です。
 それにしても、この碑文の文字は読みにくい。例えば「秋」という字は偏とつくりが逆になっています。

秋

 ひょっとしたら秋の俗字にはこういうものがあるのかもしれませんが、江戸時代以前ならばともかく、大正時代にもなってこんな字体を用いるのはいかがなものかと思わざるをえない。
 それから、この碑の向かって左手前に小さな台座があり、そこにはかつて演習で使われた大砲が据え付けられていたようですが、今は撤去されています。戦争時の金属供出で持って行かれたんじゃないかと想像します。

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