桝形城址の碑(生田緑地)
神奈川県川崎市多摩区の生田緑地にある、桝形城址の碑を解読してみました。尚、この石碑は木漏れ陽が当たって文字が読みにくかったのですが、顔を近付けて何とか解読に成功しました。
【碑文】
桝形城址
桝形山は約七アールのほぼ正方形の平地を山頂と
しその四方は刀をもって削り去ったような絶壁で眺
望もよく天然の要害をなしている。その名も形が桝
に似たところに由来するのであろう。
源頼朝開幕の頃領主稲毛三郎重成がここを居城と
したと相伝え下って永正元年扇谷山内両上杉氏の戦
爭に際し扇谷方に味方した北條早雲は立川に陣する
山内軍を攻めるため伊豆から進軍して途中ここに布
陣し駿河の今川氏親もこれに駆け参じたことが当時
の記録に残されている。また永禄十二年甲斐の武田
信玄が小田原へ乱入したとき当地の豪族横山式部少
輔弘成は塁をここに築いて北條氏のために守ったと
の古伝もある
これらのことからこの桝形山が山城としてしばし
ば強国の城将に利用されていたことが推考される
昭和三十五年三月 川崎市建立
川崎市長 金刺不二太郎書
石匠 慶雲刻
鎌倉時代と戦国時代の桝形城を記述。鎌倉時代の稲毛三郎重成については、この桝形山の近くの廣福寺に彼を讃えた「稲毛節歌碑」があります。
それから、戦国時代の記述では北条早雲、今川氏親、武田信玄といった有名どころが登場。歴史に興味のない人は今川氏親を知らないかもしれませんが、氏親は今川義元の父です。
有名どころと言えば、この碑を刻んだ石匠は内藤慶雲といって、その方面では有名な人です。
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