醫王山常性寺復興之碑(調布不動尊)
東京都調布市の調布不動尊(常性寺)にある、醫王山常性寺復興之碑を解読してみました。
【碑文】
(表)
醫王山常性寺復興之碑
夫真言宗醫王山常性寺本尊は薬師如来にて金銅座像なり 別名木像虎薬師を秘佛として薬師堂に安置す 明治十二年不動堂を再建して成田山不動尊御分体を奉安す 當山は鎌倉時代に多摩川に面し結構壮麗の諸堂建立され慶長年間に甲州街道沿ひに移築せりとの傳説今に存す 現本堂は再築以来百六十余年頽朽又著し偶ま大震災並大東亜戰に遇ひ損傷更に増す依て本堂庫裡不動薬師両堂の改修築中の所茲に竣功す 今全山復古の大業を果し得たるは佛天の加護と檀信徒各位の三宝護持の信念の顕現に外ならず 爰に梗概を貞石に刻して後世に傳ふ 銘曰
伽藍安穏 万民豊楽 国土安泰 皆得成就
昭和四十三年十一月二日當山現燈亮豊
橋本安石刻
(裏)
常性寺復古功労者芳名
檀徒總代 建築委員
小林常太郎 橋本馬次郎 北見宗一
市村寛吾 金子清造 谷戸正行
小川義久 五島靖浩 小川正男
谷戸源造 関口高義 小川三代吉
小川登美子 橋本豊作 ■辺久蔵
檀 信 徒 一 同
※■は解読できず。
【現代語訳】
医王山常性寺復興の碑
そもそも真言宗医王山常性寺の本尊は薬師如来で、金銅座像である。別名、木像虎薬師で、秘仏として薬師堂に安置している。明治12年(1879年)に不動堂を再建して成田山新勝寺の不動尊の御分体を奉じて安置した。当時は鎌倉時代に多摩川に面し、建物の構えが壮麗な諸堂が建立され、慶長年間(1596年~1615年)に甲州街道沿いに移築したという伝説が今に残っている。現在の本堂は再建から160年余が経過し、老朽化が甚しかったのだが、関東大震災(1923年)や大東亜戦争(1941年~1945年)によって損傷が更に増した。そこで、本堂、庫裡、不動堂・薬師堂の両堂の改築・修築をしたところ、工事が完了した。今、寺の全てが復古するという大事業を果たしえたのは、仏・天の加護と檀家・信徒各位の三宝(仏・法・僧)護持の信念の現われに外ならず、ここにあらましを堅い石に刻んで後世に伝える。銘に言う、
伽藍安穏 万民豊楽 国土安泰 皆得成就
昭和43年(1968年)11月2日、当寺の現燈・亮豊
橋本安石刻む
昭和43年(1968年)の文章なので(※)現代語訳は不要かと思ったのですが、いざ読んでみると古風な文章、いわゆる擬古文だったので現代語訳を付けました。
さて、碑文中では調布不動尊の復興事業が語られ、「今全山復古の大業を果し得た」と述べています。境内はそこまで大きくないのですが、調布不動尊にとっては「大業」だったのでしょう。
尚、裏面の「常性寺復古功労者芳名」に載っている小川登美子の名前は同寺にある「子育て地蔵尊」の碑文にも見え、橋本馬次郎・五島靖浩の名前は近くの国領神社の社号標にも見えます。
※参考までに言っておくと、1968年は川端康成がノーベル文学賞を受賞しています。川端康成の作品は、現時点では現代語訳など不要。
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