川崎市学童疎開四十周年記念像(生田緑地)
神奈川県川崎市多摩区の生田緑地にある、川崎市学童疎開四十周年記念像の碑文を解読してみました。尚、この像は枡形山山頂の端に立っています。
【碑文】
(表)
輝け杉の子
川崎市学童疎開四十周年記念像
川崎市長 伊藤三郎
(裏)
学童疎開は昭和一九(一九四四)年六月三〇日の
閣議で決定、国民学校初等科三~六年生について実
施された。
川崎氏は七月二八日、緊急校長会を開き、三五校
中、二四校の集団疎開先を、次のように決定した。
(中略)
かくして総勢七一〇〇余名の児童は同年八月一五
日から二四日の間(津久井郡は翌二〇年五月)に川
崎を出発、二〇年一〇月、終戦による疎開解散に至
るまで疎開生活を送った。
この像は、名状し難い困苦の中から祖国の再建を
期する当時の幼い子らの姿を現し、困難な中で引き
受けられた全地域の方々への感謝と、平和への誓い
をこめて、当時の児童教職員、現教職員、一般市民
そして川崎市の協力によって、疎開解散四〇周年を
記念して、当時桜本国民学校が疎開していた鍛錬道
場のあった当桝形山に建立した。
像の製作者は川崎市在住の圓鍔元規氏である。
昭和六〇(一九八五)年八月一五日
川崎市学童疎開記念碑建設実行委員会
「(中略)」とした部分には、疎開元の学校と疎開先が書かれています(大山地区の9校は疎開先を銘記せず)。これを一々書いていたら長くなるので省略しました。
それから、この像の製作元の名称が「川崎市学童疎開記念碑建設実行委員会」となっていることに注目。愚考するに、当初は記念碑を建てるつもりだったのが、いつしかそれが記念像に変わり、製作元の名称がそのまま残ったのでしょう。
ちなみに私は、記念碑でも記念像でも、どちらでも構いませんよ。どっちでも解読はしますから。ただ、一般人目線で考えると、記念像の方がビジュアル的に訴えるものがあるものの、文字情報はその分かえりみられなくなるんじゃないでしょうか。
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