パール博士顕彰碑(靖國神社)
東京都千代田区の靖國神社にある、パール博士顕彰碑を解読してみました。
【碑文】
(上段)
時が熱狂と偏見とを
やわらげた暁には
また理性が虚偽から
その仮面を剥ぎとった暁には
その時こそ正義の女神は
その秤を平衡に保ちながら
過去の賞罰の多くに
そのところを変えることを
要求するであろう
(中段)
When Time shall have softened passion and prejudice,
when Reason shall have stripped the mask from misrepresentation,
then Justice, holding evenly her scales, will require
much of past censure and praise to change places.
Radha binod Pal 1886~1967
(下段)
頌
ラダ・ビノード・パール博士は、
昭和二十一(一九四六)年五月
東京に開設された『極東國際軍
事裁判所』法廷のインド代表判
事として着任され、昭和二十三
年十一月の結審・判決に至るま
で、他事一切を顧みる事なく専
心この裁判に關する厖大な史料
の調査と分析に没頭されました。
博士はこの裁判を擔當した連合
國十一箇國の裁判官の中で唯一
人の國際法専門の判事であると
同時に、法の正義を守らんとの
熱烈な使命感と、高度の文明史
的見識の持主でありました。
博士はこの通稱『東京裁判』が、
勝利に傲る連合國の、今や無力
となつた敗戰國日本に對する野
蠻な復讐の儀式に過ぎない事を
看破し、事實誤認に滿ちた連合
國の訴追には法的根據が全く欠
けてゐる事を論証し、被告團に
對し全員無罪と判決する浩瀚な
意見書を公けにされたのであり
ます。
その意見書の結語にある如く、
大多數連合國の復讐熱と私的偏
見が漸く収まりつつある現在、
博士の裁定は今や文明世界の國
際法學会に於ける定説と認めら
れたのです。
私共は茲に法の正義と歴史の道
理とを守り抜いたパール博士の
勇氣と情熱を顯彰し、その言葉
を日本國民に向けられた貴重な
遺訓として銘記するためにこの
碑を建立し、博士の偉業を千古
に傳へんとするものであります。
平成十七年六月二十五日
靖國神社
宮司
南部利昭
中段の英文ですが、これは上段の文章が和訳になっています。
それから下段の文章は、平成17年(2005年)の作にもかかわらず旧字体・旧仮名使いとなっています。私は慣れているから平気でしたけど、古い文章を読み慣れていない人は苦戦するかもしれません。
さて、靖國神社の『参拝のしおり』に、この碑の紹介文があったので、それを引用してみます。
極東国際軍事裁判(通称東京裁判)でインド代表判事を務め、裁判官の中でただ一人、被告団全員を無罪とする意見書を提出したラダ・ビノード・パール博士の功績を伝えるため、平成17年(2005)に建てられました。
碑文下段の文章よりもこちらの方がわかりやすいと思います。
それはさておき、この碑はパール判事を顕彰するものですが、それと同時に彼の言葉を掲げることによって、靖國神社が間接的に「東京裁判の被告は全員無罪である」と主張しているようです。ただ単に彼が立派な人だから顕彰碑を建てたと言うのなら、碑文下段であれだけ熱のこもった文章になるはずがないですからね。
【参考文献】
『参拝のしおり 靖國神社』靖國神社
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