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柳田國男「人を神に祀る風習」

あらすじ…人を神に祀る風習について考えてみる。

 高尾山の石碑を解読して回っていた時、〇〇霊神と題した石碑が多く見受けられました。碑文を読んでみると、これらの霊神はいずれも故人で、講元などの指導的地位にあって尊敬されていたらしいことがうかがえます。
 今回、柳田國男の「人を神に祀る風習」を読むに際して、上記の霊神の碑について何かわかるのではないかと期待。読み進めてみると、怨霊が祟るのを神に祀る御霊信仰の事例が幾つも出てくるがこれは当てはまらない。若宮の神託、八幡信仰、これも違うな。
 と思ったら、わずかに触れている(かもしれない)部分を発見。

 近世に入ってからの最も著しい特色は、神号付与の沙汰と、霊神・霊社という名称であった。初期の人神にはまず霊神の号を用いしめ、次々に高い格式に進めて行ったようであるが、その慣例と以前の新八幡、ないしは若宮・今宮などという考え方との間に、何か隠れたる脈絡はなかったであろうか。(P655)

 この時の著者(柳田國男)の興味が向いている方向と、現在の私(泉獺)が向いている興味の方向が、全然違うなという感触を得るに至りました。仕方ない、他を当たるか。

【参考文献】
『柳田國男全集13』筑摩書房(目次)

【関連記事】
高尾山の石碑(目次)

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