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柳田國男「祭礼と世間」

 冒頭、東北大学の日下部博士の信仰物理学を取り上げ、これを歓迎して「風がわりの感想録」(P549)を書いています。
 尚、この日下部博士とは物理学者の日下部四郎太で、研究者ならば「祭礼と世間」に取り組むに際しては彼の信仰物理学の論文を読んでおくべきなのでしょうが、さすがに私はそこまで手が回らない。「祭礼と世間」の感想を述べるのがせいぜいです。

 そんなわけで、信仰物理学は棚上げにして、「祭礼と世間」の記述の中でちょっと気になったところを一つ引用します。

 世の中が忙しくなって、人の顧みぬ社寺境内の力石の類は、往々にして量目などを彫り付け、わずかに近所の青年の力競べの用に供せられているが、何ゆえその石が、神社仏閣の前に置いてあるかと問えば、その前身は分明する。以前真摯なる儀式であった行為が、後に子供遊びの類になって残る者は、紙鳶でも独楽でも綱曳きでも皆それで、単に右の力石のみではない。力石はすなわち石占の形式的異物であった。(P573)

 東京都世田谷区松原の菅原神社の力石を解読していたので、この部分が引っかかりました。
 さて、そんな力石ですが、柳田國男の時代には「わずかに」使われていたようですが、今では使われなくなって、境内を飾るオブジェとなっています。ひょっとしたらどこかの田舎の寺社でひっそりと「現役」を務めている力石があるのかもしれませんが、私は寡聞にして知りません。

【参考文献】
『柳田國男全集13』筑摩書房(目次)

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