十二社碑(十二社熊野神社)
東京都新宿区の十二社熊野神社にある、十二社碑を解読してみました。
【碑文】
(表)
十弐社碑
江都之勝躁於東南而西北則寂矣益以其高燥之水也河渠不
通舟〇(※1)欠便遊跡従寡居肆従〇(※2)所以属■如茲境丘■錯亘原
野平叙始而幽邃終而暢達且挟一大池以開生面東南豈有数
與猶不躁者何以都人取便利與酔飽而真愛景〇(※3)者少也人以
爲恨然予則謂是騒流韻士所適雑沓〇(※4)趣酔顛破景安得披襟
逞雅興焉夫櫻等凝芳而人過番積國嘉木滴緑而身入清涼地
虫■沸月則観一乗雪光脱丘則浄六塵乃騒客来游而可酔所
〇(※5)■■堪賞四時佳景東南有幾我恐或躁易恨矣会記其〇(※6)表
之勝状悉實非予筆可悉也嘉永辛亥春三月 負笈道人撰
丘山今地〇(※7)位置属天工池蓄千秋雨松吟両岸風 静軒居士
日本書堂憲齊源大彭書[印][印]
(裏)
(碑の表側にて撰文をした負笈道人の略歴を記す。ただし欠字が多かったので解読を諦めた)
※■は解読できず。
※1.織の扁を木にしたもの。
※2.阝扁に西。
※3.至扁に支。
※4.木扁に覚。
※5.口扁に金。
※6.既の下に木。
※7.珍の扁を月にしたもの。
裏面の解読は諦めたので、ここでは表側だけを取り上げることにします。
読めない文字がそこそこある上、俗字の解釈もこれでいいのかと迷うところなきにしもあらず。ということで、書き下し分と現代語訳は断念。
しかしそれでもわかったのは、十二社熊野神社が江戸の人気スポットになった経緯が書かれている、ということです。一大池に桜などです。
それから、「嘉永辛亥」は調べてみると嘉永4年(1851年)でした。ペリーの浦賀来航の2年前で、この年に太平天国の乱が起こっています。
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