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重修石垣碑(深大寺)

 東京都調布市の深大寺にある、重修石垣碑を解読してみました。

重修石垣碑

【碑文】
除災招福
重修石垣碑           天台座主 大僧正源應篆額
武洲北多摩郡神代邨深大寺者関東之古刹現為天台宗本属法相宗
歴代天皇勅願之道場也天暦七年比叡山元三大師歳四十二自刻壽
像為攘災之祥符後大師之高弟慈忍恵心二師令寛印大徳従台嶠解
脱谷齋来此像奉安本寺實正暦二年二月也創建已還屢罹祝融然此
尊像獨免其厄千古之霊容儼乎如在利生之應験炳焉益點是以賽者
不絶踵慶應元年亦災八十世堯欽僧正拮据経營披荊棘廣彊域再建
堂宇信徒戮力築垣造磴面目一心為今茲壬戌之春■胥謀重修石垣
十有餘間且新結百味講社毎歳■三月四日為恒例行百味供養精修
護摩而祈護國安民除災招福善哉経云佛種従縁起寺主尭允僧正樹
石来屬予文■固有舊誼不可解乃記其梗概云
                輪王寺門跡大僧正圓朗〇(言扁に巽)文
大正十一年龍集壬戌春三月    末學天台沙門  慶中書丹
                       内藤慶雲刻

※■は解読できず。

 解読できなかった文字がいくらかありますが、それでも現代語訳に挑戦してみることに。まずは読み下し文にしてみます。

【読み下し文】
除災招福
重修(※1)石垣碑           天台座主 大僧正源應篆額(※2)
武洲(※3)北多摩郡神代邨深大寺は関東の古刹にして現(いま)は天台宗たるも本は法相宗に属す。歴代天皇勅願の道場なり。天暦七年、比叡山元三大師歳四十二にして自ら壽像(※4)を刻み、攘災の祥符と為す。後に大師の高弟、慈忍・恵心二師、寛印大徳をして此の像を台嶠(※5)より谷に解脱し斎(いつ)き来たりて本寺に奉安せしむ。実に正暦二年二月なり。創建已還、屢(しばしば)祝融(※6)に罹る。然るに此の尊像獨りその厄を免れ、千古の霊容儼乎(※7)にして利生の應験あるが如く、炳焉(※8)益(ますます)点ず。是を以て賽者(※9)、踵を絶えず。慶應元年また災あり。八十世堯欽僧正経営を拮据(※10)し、荊棘(※11)を披き彊域(※12)を広げ堂宇を再建す。信徒戮力(※13)して垣を築き磴(※14)を造る。面目一心して今ここに壬戌の春となる。みな謀りて石垣十有餘間を重修し、かつ新たに百味講社を結び、毎年三月四日に恒例行百味供養精修を為す。護摩をして護国安民・除災招福を祈る。『善哉経』に云う、佛種は縁に従って起こる、と。寺主・尭允僧正(中略)旧誼あり、不可解の記、その梗概を云う。
                輪王寺門跡大僧正圓朗、文を選ぶ
大正十一年龍集(※15)壬戌春三月  末学天台沙門  慶中書丹
                       内藤慶雲刻む。

※1.重ねて修復すること。
※2.篆書の題を書く。ここでは「除災招福」の部分。
※3.武蔵国。
※4.その人が存命中に作っておく肖像。
※5.嶠はするどく高い山。
※6.火神。火事の喩え。
※7.おごそかなさま。
※8.明らかなさま。
※9.参詣人。
※10.忙しく働くこと。
※11.困難なさま。
※12.掲載。
※13.力を合わせること・
※14.石段。
※15.1年、歳次。多くは年号の下に記す。
※16.石碑に書くこと。

 読み下し文にできなかった部分は「(中略)」とさせていただきました。
 続いて現代語訳をどうぞ。

【現代語訳】
災いを除き福を招く
重修石垣碑           天台座主・大僧正源應、篆書の題を書く
 武蔵国北多摩郡神代村の深大寺は、関東の古い寺で現在は天台宗となっているが、元々は法相宗に属していた。歴代天皇勅願の道場である。
 天暦7年(953年)、比叡山(延暦寺)の元三大師が42歳の時に自ら肖像を作り、災いを攘うめでたいしるしとした。後に(元三)大師の高弟、慈忍・恵心の二師が、寛印大徳に、この像を比叡山より運び出させて、本寺に奉安させた。実に正暦2年(991年)2月のことである。
 (深大寺は)創建以来、幾度か火災に遭った。しかしこの尊像だけはその災厄を免れ、千年の古さが持つすぐれた有り様はおごそかで、御利益があるかのようで、それはますます明らかである。それによって、参詣者は絶えなかった。
 慶応元年(1865年)、また(火)災があった。80世堯欽僧正は忙しく立ち働き、困難を打開して境内を広げ、堂宇を再建した。信徒たちは力を合わせて石垣を築き、石段を作った。(寺の)面目は一新して、今ここに壬戌(1922年)の春となる。皆で相談して石垣十余間を重ねて修復し、かつ新たに百味講社を結成し、毎年3月4日に恒例行百味供養精修をすることになった。護摩を焚き、護国安民・除災招福を祈るのである。『善哉経』にはこうある、「仏種は縁に従って起こる」と。寺主・尭允僧正は(中略)昔のよしみがあり、不思議な話の概略をここに記す。
                 輪王寺門跡・大僧正圓朗、文を選ぶ。
大正11年(1922年)春3月。  末学天台沙門・慶中が石碑に書く。
                      内藤慶雲が(石に)刻む。

 碑文中にある寿像とは元三大師像(秘仏)。秘仏なので私もお目にかかったことはありませんが、こちらの石碑ではその秘仏の有り難さをアピールしています。
 それから、「台嶠」という言葉についても少々。「台」という字を見ながら現代語訳に頭を悩ませていた時、「台密」という言葉が浮かんできました。台密は天台宗が密教化するという意味なのですが、台密の台は天台宗を指します。ならば、台嶠の台も天台宗を指すのではないかと思い至りました。だとすると、台嶠は「天台宗のするどく高い山」という意味になり、これ即ち比叡山のことである、と解釈しました。
 そもそも元三大師像が持ち出される前はこれがどこにあったのかを考えてみれば、比叡山延暦寺にあったとみるのが自然です。
 他にも解読の苦労を語ろうと思えば語れるのですが、長くなってきたので、これくらいにしておきます。ああ疲れた。

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