大東亜戦争戦歿者慰霊碑(喜多見氷川神社)
東京都世田谷区の喜多見氷川神社にある、大東亜戦争戦歿者慰霊碑を解読してみました。
【碑文】
(表)
大東亜戦争
戦歿者慰霊碑
内閣総理大臣 福田赳夫書
(裏)
嗚呼砧の里より征きて
日本を護りし戦士神と
なり鎮まり給ふ
昭和六年柳条溝より起
りし事変は遂に大東亜
戦争となり南へ北へ世
界の平和を希ひつゝ戦
ひし殉国の勇士二二二
名を偲び奉り称え奉る
その功績を永久に忘れ
じと有志言継ぎてこゝ
に碑を建て英霊に誠を
捧げ御霊を慰め奉る
昭和五十二丁巳年十月
戦歿者氏名
(※氏名多数につき、これを省略。私は数えていませんが、碑文の通りならば222名に上るはず)
砧地区戦歿者慰霊碑
建設委員会建立
知行院住職
坂本観雄謹書
施工 杉並福田石材店
【現代語訳】
ああ、砧の里から出征して日本を護った戦士たちは(死んで)神となり鎮まった。
昭和6年(1931年)、柳条溝より起こった事変(いわゆる満州事変)はついに大東亜戦争となり、南へ北へと世界の平和を願いながら殉職した勇士222名を偲び、称える。その功績を永久に忘れまいと、有志たちが言い続け、ここに碑を建てて英霊に誠意を示し、御霊を慰め申し上げる。
昭和52年(1977年)10月
郷土の英霊を顕彰・慰霊する碑。しかしさすがに222名ともなると膨大で、巨大な石碑にビッシリと氏名を書き列ねています。その様子を眺めると、あの戦争ではここの地区の出身者だけでもこんなに英霊になっているんだぞ、ということを見せつけられているような気がします。
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