橘屋一家功勞碑(布多天神社)
東京都調布市の布多天神社にある、橘屋一家功勞碑を解読してみました。
【碑文】
(表)
橘屋一家功勞碑
(裏)
橘屋ハ號ニシテ野口氏ト称ス享保年間
神佛縁日及諸市日出店商人ノ公認ヲ得ル
事ニ功労アリ以来代々帳元ノ職ヲ襲ヒ同業
者ノ指導督励ノ任ニ當リ現主ニ及リ其間
仲武蔵同業組合ヲ組織シ或ハ布多天神社
市日ニ同業者ノ出店ニ奨励シ市ノ繁栄ニ
努力セリ特ニ副頭取及世話人諸氏ハ克ク
當該帳元ヲ補佐シテ斯業ノ向上発達及公衆
ノ便ヲ計ル事ニ盡力セル其遺功實ニ尠
シトセズ 之レ和束共同ノ情義親子ノ如ク親
睦ノ篤キ事一家ノ如ク實ニ以テ後世ノ模
範トスベキ事ナリ
昭和参年三月吉日
功勞者氏名
飛田給
頭取帳元 橘屋平蔵
国領
副頭取 薫森利三郎
下布田
世話人 齊藤七右エ門
車返
同 鹿島光蔵
押立
同 高木惣次郎
上布田
同 鈴木桂次郎
上石原
同 甲斐兼吉
国領
同 荻窪甚三郎
下染屋
同 原田又七
押立
同 高木金五郎
發起者氏名
(※氏名多数につき、これを省略)
賛助者氏名
(※氏名多数につき、これを省略)
外
組合員一同
国領石工
橋本安五郎
【現代語訳】
橘屋は屋号であり、姓は野口氏と称する。享保年間(1716~1736年)、神社仏閣の縁日や、市が立つ日に出店する商人の公認を得ることに功労があり、それ以来、代々、帳元の職を世襲して、同業者の指導監督の任に当たり、それは現当主に及んでいる。その間、仲武蔵同業組合を組織したり、あるいは布多天神社の市が立つ日に同業者の出店を奨励し、市の繁栄のために努力した。特に副頭取と世話人の諸氏は、よく当時の帳元を補佐してこの事業の向上発達と人々の利便性を高めることに尽力しており、その後世に残った功績は決して少なくない。この和束共同の情義は親子のようで、親睦が深いのは一つの家族のようで、まったくもって後世の模範とするべきものである。
縁日や諸市に出店する、これはいわゆるテキ屋です。とすると、この橘屋はテキ屋の元締めということになります。
それから、「和束共同ノ情義親子ノ如ク」は親分子分の関係であり、「親睦ノ篤キ事一家ノ如ク」は橘屋がいわゆる「ファミリー」を形成していたのだ、と見ることができます。
尚、昭和3年(1928年)に何があったのかというと、張作霖爆殺事件です。
« 追いかけてくる者:追跡者ケイト(2020年、エストニア) | トップページ | レヤック(2020年、オーストラリア) »
「書評(歴史)」カテゴリの記事
- 山帰釋尊像(大正寺)(2024.10.10)
- 本堂客殿庫裡改修築の碑(大正寺)(2024.10.09)
- 井上勝像(東京駅丸の内北口付近)(2024.10.08)
- 躍像(西葛西駅北口)(2024.10.07)
« 追いかけてくる者:追跡者ケイト(2020年、エストニア) | トップページ | レヤック(2020年、オーストラリア) »
コメント