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中野町役場跡の碑(中野宝仙寺)

 東京都中野区の中野宝仙寺にある、中野町役場跡の碑を解読してみました。

中野町役場跡の碑

【碑文】
(表)
中野町役場跡

(裏)
   中野町役場の沿革
この地は 昭和七年十月一日東京市中野区が発足するまで東京市豊
多摩郡中野町役場がおかれた場所である
明治二十二年四月町村制の実施に伴い 中野・本郷・本郷新田・雑色の
四カ村は 合併して新たに中野村となり さらに 明治三十年一月町制を施
行して中野町と称した
明治二十八年六月 当時の村長堀江卯右衛門はこの地に村役場を建
設した 町制の施行とともに町役場となり 村長高橋平兵衛が初代町長
に就任し 伊藤金左エ門町長 森俊成町長の三代三十六年間にわた
り町制が執られた
ここに 区制三十周年を迎えるにあたり碑を建設してながく後
世に伝えようとするものである
  昭和三十七年十月一日
            東京都中野区長 皆川五郎
               題字区長皆川五郎
               株式会社廣瀬石材店刻

 ここに中野町役場があったことを示す碑。
 石碑裏面の記述を年代順に整理すると、以下の通り。

明治22年(1889年):町村制の実施に伴い、中野・本郷・本郷新田・雑色の4カ村が合併して中野村となる。
明治28年(1895年)6月:堀江卯右衛門村長がこの地に村役場を建設。
明治30年(1897年)1月:町制を施行して中野町と称す。と同時に村役場が町役場となる。
昭和7年(1932年)10月1日:東京市中野区が発足。
昭和37年(1962年)10月1日:この石碑を建設。

 それにしても、町役場程度のもので、こんな石碑が立つのか…。

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