石道敷設之記の碑(田無神社)
東京都西東京市の田無神社にある、石道敷設之記の碑を解読してみました。
【碑文】
石道敷設之記
余■の諸氏に泥塗の艱(なや)みあるを憂ひ
相謀りて石階上より神橋に到るの間を花
崗石三列の坦道となし以て祷賽の便
供しいまこの敬神の誠を表す
藤宮長萩
明治四十年五月 海老澤徳二郎
下田啓太郎
※■は解読できず。「等」か。
【現代語訳】
私たちは(田無神社に)参拝する人たちが泥道を歩くという問題に心を痛め、相談して石階段上から神橋にいたる間を花崗石三列の平坦な道にし、それによって参拝の便宜を供与し、今、この敬神の誠意を表明する。
明治40年(1907年)5月
藤宮長萩
海老澤徳二郎
下田啓太郎
変体仮名が少々使われていたので、解読に少々時間がかかりました。又、解読できなかった文字が一つありましたが、現代語訳に際しては意味が通るようにしました。大体これで合っていると思います。
ところで明治40年(1907年)というと、第2回万国平和会議が開催され、そこでハーグ密使事件が起こっています。
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