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分倍河原古戦場碑

 東京都府中市にある、分倍河原古戦場の碑を解読してみました。

分倍河原古戦場の碑

【碑文】
(表)
分倍河原古戦場
 正五位男爵新田義美敬書

(側面)
石材寄贈 府會議員/吉野豊次郎

(裏)
元弘三年五月新田義貞勤王ノ兵ヲ起シ北條氏
ヲ攻ムルニ敵ト分倍河原ニ激戦シテ大ニ之ヲ
破リ追撃シテ鎌倉ヲ陥レ遂ニ高時ヲ亡シ建武
中興ノ基ヲ成ス由ツテ有志相謀リ碑ヲ其ノ遺
跡ニ建テ以ツテ不朽ニ傳フ
   昭和十年五月十六日
    官幣小社大國魂神社宮司/府中史談會々長 猿渡盛厚謹記

 裏面の文章を現代語訳してみました。

【拙訳】
 元弘3年(1333年)5月、新田義貞は(後醍醐)天皇のために挙兵し、(鎌倉の)北条氏を攻めたのだが、分倍河原で敵軍と激闘を繰り広げ、大いにこれを打ち破り、(更に)追撃して鎌倉を陥落させ、ついに(北条)高時を滅ぼし、建武中興の基礎を作った。そこで有志が相談して石碑をその跡地に建て、それによって永遠に(このことを)伝える。
   昭和10年(1935年)5月16日
    官幣小社大國魂神社宮司/府中史談会会長 猿渡盛厚謹(つつし)んで記す

 さて、碑文の中の「勤王ノ兵ヲ起シ」や「建武中興ノ基ヲ成ス」といった文言には、皇国史観が反映されているように感じます。皇国史観は今でこそ廃れていますが、この石碑が建立された当時(昭和10年)はバリバリの現役でした。
 分倍河原の戦いは歴史的事実ですが、皇国史観が歴史上に存在したこともまた事実。この石碑はその二つを示してくれています。

【関連記事】
新田義貞像から分倍河原古戦場碑まで歩いてみた。
新田義貞公之像(分倍河原駅前ロータリー)
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