弁慶硯の井(高安寺)
3月某日(※)、東京都府中市の高安寺にお参りし、その裏手にある弁慶硯の井を見てきました。
この井戸の由来については、高安寺にて入手した小冊子『高安寺もの語りの栞』から引用します。
建立された寺は、市川山見性寺と呼ばれたが、宗派などその詳細は不明である。このころ兄源頼朝の怒りを買って鎌倉入りを許されなかった義経が、京都に向かう途中、しばらく見性寺に滞在して弁慶らと共に、赦免祈願の大般若経を写したという。そのとき、写経のために本堂裏山から清水を汲み取ったので、「弁慶硯の井」の古蹟が残されている。(P1)
尚、引用文中に出てきた見性寺は後に高安寺と改められ再興された、と栞に書かれています。
さて、源義経が鎌倉入りを許されず足止めを食らったのが腰越で、彼はそこから京へ引き返しています。
地図を見ると、腰越から京は西の方角にあるのですが、府中は北の方にあります。あれ? 方角が違うぞ。ですが、東山道(後の中山道)を使って帰洛したのなら府中を通ってもおかしくはないか。
それでは最後に井戸を観た感想を述べるとしましょう。
正直、何の変哲もない井戸です。ひょっとしたらスピリチュアルの世界なら何かしらあるのかもしれませんが、少なくとも私にはそういったものは感じられませんでした。
歴史好きなら高安寺へお参りの際に一度は見ておくのもいいと思います。ただし、ここへ行くには足場の悪い細道を通ることになるのでご注意を。
※小池東京都知事が不要不急の外出の自粛を要請する前です。
【参考文献】
『高安寺もの語りの栞』高安寺
【関連記事】
弁慶塚(日記)
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