竹添井々文学碑(乃木神社)
東京都港区赤坂の乃木神社の境内に、竹添井々文学碑なるものがあります。今回はこれを解読してみました。
【碑文】
竹添井々文学碑
竹添井々略歴
竹添進一郎、光鴻号は井々、天保十三年天草郡大矢野島に生る。出熊木下●(韋扁に華)村の門に学び、時習館居寮生となる。幕末戊申(※)の役には肥後藩の参謀。時習館訓導助勤後、明治五年から七年まで天名郡伊倉村に開塾。上京仕官、詩文の才を認められ朝鮮公使、東京帝大教授となる。棧雲峡雨日記、論語会箋、春秋左氏会箋等の著述多し。文学博士、大正六年歿七十六歳墓は東京小石川の護国寺
※戊辰の誤り。
続いて現代語訳をどうぞ。
【拙訳】
竹添井々文学碑
竹添井々の略歴
竹添進一郎、光鴻。号は井々(せいせい)。天保13年(1842年)天草郡大矢野島に生まれる。熊本に出て木下●(韋扁に華)村(いそん)の門下で学び、時習館の寮生となる。幕末の戊辰戦争では肥後藩の参謀を務める。時習館で指導の助勤を務めた後、明治5年から7年(1872~74年)まで天名郡伊倉村に塾を開く。上京して仕官し、詩文の才を認められて朝鮮公使、東京帝大教授となる。『棧雲峡雨日記』『論語会箋』『春秋左氏会箋』など著作多数。文学博士、大正6年(1917年)没。享年76歳。墓は東京小石川の護国寺にある。
竹添井々は明治の外交官・漢学者。
碑文に「詩文の才を認められ」とありますが、この詩文とは漢詩漢文のことと思われます。李氏朝鮮との外交交渉で必要だったというわけですな。
してみると、この文学碑の文学とは漢文学のことか。漢文学というと、私なんかは『山海経』や『三国志演義』、『水滸伝』などが思い浮かびます。
それから、彼の墓があるという護国寺は、手元の地図で調べてみると、乃木神社から北の東京都文京区大塚にあります。墓が護国寺のどこにあるのかまでは知りませんが、護国寺には私も何度かお参りしたことがあります。あそこは乃木神社よりも広い。広々としています。
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