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中島敦「文字禍」

あらすじ…古代アッシリヤ。ナブ・アヘ・エリバ博士はアシュル・バニ・アパル大王から、文字に霊はあるのか、あるとすればそれはどんなものか調べよと命じられる。博士は調査するが…。

 文字に霊はあるか?
 愚考するに、文字に「思い」が込められているのを感じることはできます。例えば書道を嗜んでいれば、運筆から書き手の状態を察せられることもあるし、あるいは故事来歴に通暁していれば、文中に突如として用いられた故事成語を作者はいかなる意図をもって挿入したのかを推測できるかもしれません。
 もちろんその感じ取った「思い」は、読み手の勝手な解釈という危険性なきにしもあらずということは指摘しておきます。だとするとこれも文字禍の一つか。
 再び問う、文字に霊はあるか?
 ある、という解釈を採ってもいいんじゃないですかね(適当)。小説世界でそういう世界観を押し出したものがあったっていい。
 とまあ、こんな気楽なことを言えるのは、私が本作の主人公と違って大王から命令されていないからでしょうな。ついでに言えば、学校の宿題などでこれを読んでいるわけでもない。
 お前それでもいいのかと問われたら、こう反論しておきましょうかね。レポートや卒論ならまずいだろうけど、これはそんなんじゃない。愚考ですよ、愚考。

【参考文献】
紅野敏郎・紅野謙介・千葉俊二・宗像和重・山田俊治・編『日本近代短篇小説選 昭和篇I』岩波書店

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