小川原正道『西南戦争 西郷隆盛と日本最後の内戦』中央公論新社
本書は様々な文献を引用しているのですが(巻末の参考文献だけでも物凄いことになっている)、引用文の多くは古文(漢文)の知識が必要です。孫引きになりますが、一例として引用します。
拙者共事、先般御暇の上、非役にして、帰県致し居り候処、今般政府へ尋問の筋有之、不日に当地発程候間、為御含、此段届出候。尤旧兵隊之者共、随行、多数出立致候間、人民動揺不致様、一層御保護及御依頼候也。(『西南記伝』)(P56)
上記の引用文は西郷隆盛・桐野利秋・篠原国幹連名の届出で、大山綱良鹿児島県令に提出したものですが、一読しておわかりいただけたでしょうか? 私なりに現代語訳してみました。
我々(西郷・桐野・篠原)は以前、官職を辞して鹿児島県に帰郷しておりましたが、只今、中央政府に尋問したいこと(西郷隆盛暗殺計画)があるので、急きょ出立することになりました。そのことを知っておいていただきたいので、このことを届け出ました。それから、多数の元兵士たちが我々に随行して出立している間、人民が動揺しないよう、一層の(人民の)保護をお願いいたします。
この場合、書き手や読み手は無論のこと、引用者(小河原正道)も古文の知識が当然のようにあるのでしょう。だから本書には現代語訳が付いていない。私は彼らほどではないが、とりあえず上記の如く現代語訳しておきました。
ちなみに現代語訳の際に意味をわかりやすくするために補った言葉の中に西郷隆盛暗殺計画なるものがありますが、これについて少々説明させていただきます。
中央政府は中原尚雄ら約20名の視察団を鹿児島に派遣していたのですが、西郷一派(私学校党)は彼らが西郷隆盛を暗殺しようとしているとしてこれを捕え、拷問。「自供」を引き出します。
ただし、中央政府側は暗殺計画を否定しています。
尚、本書では「実態はみえにくく、真相はなお闇のなかというほかないが」(P46)としつつ、「中原の不用意な発言が極度の緊張下にあった私学校側を憤激させ、あるいは利用され、拷問と口供書作成に結びついたというのが実態に近いのかもしれない」(P46)と推測しています。
愚考するに、もしも視察団が西郷隆盛暗殺の挙に出たとしたら、成功・失敗いかんを問わず、怒り狂った西郷シンパによって血祭りに上げられていたでしょうな。
【参考文献】
小川原正道『西南戦争 西郷隆盛と日本最後の内戦』中央公論新社
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