塩野七生&アントニオ・シモーネ『ローマで語る』集英社
作家の塩野七生とその息子アントニオ・シモーネの映画対談集。
本書の中では様々な映画について語っているのですが、今回ここで取り上げるのは、ルキノ・ヴィスコンティ監督の「地獄に堕ちた勇者ども」(原題は"La Caduta degli Dei"「神々の崩壊」)について。
シモーネ氏はこの映画の原題と邦題の違いについてこのように述べています。
日本での題名の「勇者」だと、自分自身の能力によって悲劇の主人公にふさわしい地位にのぼったように思えてしまう。だが、ヴィスコンティが名づけた「神々」になると、もう生まれたときから、その人の能力には関係なく高い地位に君臨している人びとになる。後天的な成功者である「勇者」の場合、精神的には気高くても肉体的には庶民の体格の人かもしれない。でも、生まれたときから「神」ならば、肉体的にも品位にあふれた美男美女であるはずだ。ヴィスコンティ作のこの映画の登場人物たちのほとんどは、この理由で美男美女ぞろいです。(P100-101)
わたしも映画レビューの際には邦題と原題の違いについて云々することがたまにあるのですが、この映画に関してはそこまでは思い至りませんでした。まあ、私はイタリア語はできないので、この辺はいかんともしがたいのですが…。
ちなみに邦題の「勇者ども」について私から少々。勇者の複数形として、「勇者たち」ではなくて「勇者ども」を採用しています。愚考するに、「ども」は「野郎ども」とか「悪党ども」といった悪い意味で使われることが多い。映画の登場人物たちを見ると、確かに「たち」より「ども」が使われるにふさわしいですな。
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