山本健吉「美しき鎮魂歌――『死者の書』を読みて」
折口信夫の小説『死者の書』の評論。本文中では『死者の書』の作者を「釈迢空」としていますが、これは折口信夫の一種のペンネームであり、本記事では『死者の書』の作者名を知名度の高い折口信夫と表記します。
『死者の書』あらすじ…100年前に死んだ大津皇子(滋賀津彦)が永い眠りから覚めた。一方その頃、藤原南家郎女は二上山の落日に仏を見出し、出奔して寺に至り、そこで蓮糸曼荼羅を織り上げようとする。
まず最初に、評者(山本健吉)の著者略歴を読んでみると、「折口信夫に師事し」(P485)の一文を発見。つまり、弟子が師匠の作品を評論しているわけです。
で、色々と難しい言葉で装飾しながらも、私が読み取る限りでは、ほめています。ちょっと引用しておきます。
中将姫説話に托された民族の悲願の心情が、爰では懐しく掘出されてゐる。民族の意識しない深い憧憬が、爰では見事な形象を与へられてゐる。死んだ歴史絵図としてでなく、生きた近代小説としてである。(P488)
釈先生の中将姫説話の再建も、父祖の時代の日本に寄せられる先生の洞察と愛情とが自(オノズカ)ら渾然と打出されてゐて美しいのである。(P492)
この恐ろしく手のこんだ一篇の作り物語(P498)
まあ、私も『死者の書』を読んで感動しましたし、映画化された時なんかは神保町の岩波ホールへ観に行ったほどで、『死者の書』の凄さは少しばかりはわかっているつもりです。ですから、山本氏がほめるのはわかりますが、評論としてそればかりでいいのかと思わないでもない。
とはいえ、ほめるだけでなく分析もやっているので一つ紹介します。山本氏は『死者の書』は「おほまかに言つて、三通りの異なつた濃淡の彩りが」(P496)あると言っています。それらを図に示すと以下の通り。
(2)では大伴家持と恵美押勝をただ並べてみましたが、(1)の乳母と語部の如き対比・対立関係が何かしら見出せるかもしれません。又、(3)はいかにも寂しすぎる。
このブログの記事も長くなってきたので、これ以上は読者諸氏の手に委ねることにします。
【参考文献】
『三田文学 創刊一〇〇年名作選』三田文学会
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