カミュ「転落」
あらすじ…パリでの弁護士生活を捨て、暗い運河の町・アムステルダムに堕ちてきた男、クラマンス。彼の告白を通して、現代における「裁き」の是非を問う(裏表紙の紹介文より引用)
クラマンスの話を読んでいて、こいつの話はどこまで信じてよいものやら…と、ある種の胡散臭さを感じずにはいられませんでした。
ただしクラマンス自身も聞き手(あるいは読者)がそう思うのは心得ているらしく、こんなセリフを述べています。
あなたはこう思っていらっしゃるんでしょう。どうもこの男の話すことは本当か嘘か見分けがつかないってね。白状すれば、おっしゃる通りですよ。(引用頁亡失)
告白者がこのような有様ですので、読み手としては彼の告白を素直に受け取るわけにはいかない。だから読み進めるのは結構疲れます。
ところで、「裁き」の是非についてですが、本記事では取り上げるのを避けます。これについて云々するとなると、キリスト教の神学や現代性について長広舌を振るわないといけないからです。
ただ、少しだけ触れておくとすれば、ニーチェは「神は死んだ」と言いましたが、この「転落」はそれより更に進んで神が不在である世界のようです。
聖書に書かれている神が存在するのならば神こそが裁き手になりますが、神が不在ならば誰が裁くのか? …おっと、神学論争に入り込みそうなのでこれくらいで止めておきます。
【参考文献】
カミュ『転落・追放と王国』新潮社
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