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『大坂物語(おざかものがたり)』

 上巻は大坂冬の陣、下巻は夏の陣を描いた軍記物語。尚、脚注によると上巻は「慶長二十年一月刊行」(P29)とあるから、同時代も同時代、戦火がいまだくすぶっている頃に出ていたことになります。
 尚、上巻の最後では、豊臣方と徳川方の和議の成立を描写した後、このように締めくくっています。

 かゝりしかば、騒がしかりし年も暮れ、慶長廿年にぞなりにける。新たまの年立ちかへれば、名におふ難波の梅も、今を盛りと花咲きて、匂ひは四面にあまねく、君が世のために植へし住吉の松も、今年よりなを万歳と呼ばふ声、いよいよ天下太平、国土安穏、めでたきことにぞなりにける。(P29)

 この後すぐに夏の陣が勃発することになろうとは、著者は予想していなかったのでしょうか。あるいは権力者が(欺瞞であるにせよ)和睦した手前、勘付いていても知らぬ振りをしていたのかもしれません。

 さて、本書には徳川家康や豊臣秀頼が登場するのはもとより、徳川方では佐竹義宣、藤堂高虎、伊達政宗など、豊臣方では真田幸村、木村重成、後藤基次などの活躍が描かれます。
 しかしこれら有名どころの武功はある程度知れ渡っているので、今回はマイナーな武将のエピソードを紹介します。その武将の名は、増田盛次。

 増田兵太夫と申は、増田右衛門尉長盛の子也。関ヶ原の一乱以後、関東に居住したりけるが、此度大樹の御供して上りけれども、故太閤相国の御時、父右衛門尉奉行にてありけることを思ひ、今かく成はてぬる身上を、口惜しくや思ひけん、「万一、大坂の御利運にならば、大和国にて知行四十万石下さるべし」と秀頼公の御朱印を頂戴して、六日に平野口へ向ひけるが、朝の間の合戦には分捕りあまたしたりけるが、二度の懸けに打死す。(下巻、P38)

【拙訳】
 増田兵部大輔盛次は、増田長盛の子である。関ヶ原の戦いの後、(徳川義直に仕官して)関東に住んでいて、今回徳川秀忠に付き従って大坂へ来たのだが、
「豊臣秀吉の時代に俺の親父は五奉行の一人だったんだよなあ…」
 と思い、今はこんなみじめな境遇(増田長盛は関ヶ原の戦いで敗れたので、彼は敗軍の将の息子)になっていることが悔しくなったのだろう。(豊臣方に寝返って、)「万一、大坂方(豊臣)が勝ったら、大和の国で40万石を与える」という秀頼の御朱印状を貰い、六日に平野口へ向かい、朝の戦闘では多くの首級を上げたが、退却を後悔して行う決死の攻撃で戦死した。

 もしも増田盛次が徳川方に留まっていたとしたら、四十万石なんて夢のまた夢。言うなれば彼はハイリスク・ハイリターンの賭けに出て、負けたわけですな。しかも、真田幸村や後藤基次ほどの活躍はできずに。

【参考文献】
渡辺守邦・渡辺憲司校注『仮名草子集 新日本古典文学大系74』岩波書店

【関連記事】
池波正太郎「勘兵衛奉公記」

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