京極夏彦の怪奇な短編小説8篇を収録したものです。タイトルの中に「談」とあるように、どの作品も一人称語りで「幽」なるモノを述べています。
各作品のあらすじは以下の通り。
「手首を拾う」
男は侘びしい岬の旅館に泊まる。7年前、その宿の庭で手首を拾ったのだが、今度もまた、拾う。
「ともだち」
男は30年前に住んでいた所へやってくる。そしてそこで、友達の森田君を見つけるが、「こんなものを眺めていたって仕方がない」と思い、立ち去る。森田君は、既に死んでいたからだ。
「下の人」
マンションに一人住まいのOL。彼女のベッドの下に、なぜか人のようなものが居た。両者の奇妙な共同生活が、始まる。
「成人」
小学生(A君)の作文、高校生(A君の友人)の作文、編集者(B君)の体験談、一人のライターが上げてきた怪談を通じて、A君一家に潜む奇怪な秘密が少しずつ浮き彫りになってくる。
「逃げよう」
小学6年生の頃に、「変なもの」に追いかけられ、「ばあちゃん」の家に駆け込んだ体験を語った。だが、話し相手の山下の指摘により、その思い出のおかしな点が次々と出てくる。
「十万年」
鏡に映る像が正しくて、自分が裏返しの存在だと思った「僕」と、中学の時「霊が視える」と言った美紗。二人は大学生の時に再会した。ある夜、公園のベンチに座って語り合っていると、「僕」は空いっぱいに「巨きな魚」を見る。
「知らないこと」
女子大生の「私」は、ニートの兄から隣家の奇人・中原光次の話を聞く。そのうちに、「私」は自分が何をするのか、自分の部屋がどこか、わからなくなって「知らないこと」だらけになってくる。
「こわいもの」
「私」は座敷の真ん中に座って、怖いものとは何かを考え続けている。しかし、これはというものを思いつくことができない。実は、とある老人から「こわいもの」を譲り受けることになっていたのだ。
「十万年」の冒頭のように理屈っぽい能書きを垂れるところや、「逃げよう」の「厭だ厭だ厭だ。」(P157)といった主観性の高い表現など、京極夏彦らしい文章が当然のように見受けられます。
又、「知らないこと」では、「私は診療内科医を目指している」(P226)のに、奇行を繰り返す隣人(中原)に対して無関心の態度を取っています。少しは診療内科医の知識を用いて分析くらいしてみろよ、と突っ込みを入れたくなります。
それから、「下の人」では、なかなか前に進まない女同士の会話にイライラさせられました。でもまあ、井戸端会議ってこんなものなのだろうなあと思い直しました。というのは、あれぐらい停滞しなければ、長時間はもたないだろうからです。
最後に、「こわいもの」って何だろう? ネタバレになるので詳しくは言えませんが、「それは○○である」という言葉による定義を与えないうちは、正体が不明のままであり、それは確かに怖いと言えるでしょう。
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