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スティーブン・キング 悪魔の嵐(1999年、アメリカ)

監督:クレイグ・バクスレー
出演:ティム・デイリー、コーム・フィオーレ、デボラ・ファレンティーノ
脚本:スティーブン・キング
原題:Stephen King's Storm of the Century

あらすじ…メイン州に位置するその小さな孤島は、かつてない強大な嵐に襲われようとしていた。島の住民が嵐に備えていたまさにその時、女性の惨殺死体が発見される。現場には犯人と思われる人物が残っていたが、人と呼ぶにはあまりに不気味な姿をしていた。その男は自らをリノージュと名乗り、この前代未聞の嵐は自分の仕業だと告げる。そして、「要求に応じれば嵐と共に去る」と村民に選択を迫るのだった…。(パッケージの紹介文より引用)

 まず最初に断っておきますが、この作品はパートが3つに分かれており、それぞれおよそ1時間半もの長さです。すなわち、合計4時間半もの長編で、私も3夜に分けて鑑賞しました。いやあ、実に長かった。

 ところで、物語の中盤で聖書の一節が引用されていて、それが事件の謎を解く鍵となるのですが、聖書を日常的に読んでいる欧米人ならともかく、聖書をあまり読まない日本人のために、聖書の該当箇所を引用しておきます。

 一行は、ガリラヤの向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。イエスが陸に上がられると、この町の者で、悪霊に取りつかれている男がやって来た。この男は長い間、衣服を身に着けず、家に住まないで墓場を住まいとしていた。イエスを見ると、わめきながらひれ伏し、大声で言った。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい。」イエスが、汚れた霊に男から出るよう命じられたからである。この人は何回も汚れた霊に取りつかれたので、鎖でつながれ、足枷をはめられて監視されていたが、それを引きちぎっては、悪霊によって荒れ野へと駆り立てられていた。イエスが、「名は何というか」とお尋ねになると、「レギオン」と言った。たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである。そして悪霊どもは、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った。
 ところで、その辺りの山で、たくさんの豚の群れがえさをあさっていた。悪霊どもが豚の中に入る許しを願うと、イエスはお許しになった。悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れは崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死んだ。(ルカ福音書 8.26-33)

 ちなみに、レギオン(Legion)とはそもそもローマの軍団や大多数を意味する言葉です。

 ところで、リノージュは村人たちの秘密を次々に暴露していますが、これは別の意味で怖い。誰だって脛に傷の一つや二つ(いや、それ以上か)はあるものですが、普段はそれを隠して(忘れて)生きている。マイクの大学時代のカンニングのような、今となってはバラされてもさしたる問題にはならない秘密もありますが、中には麻薬の密売や同性愛者へのリンチ、会社の金の横領など、バレたら社会的地位が失墜して更には逮捕されてしまいかねないものもあります。
 しかも、場所が小さな孤島の村だから、リノージュがバラしたことは村人全員が知ってしまう。
 こんなことをされたら、場合によっては村に居られなくなってしまうでしょう。そう思っていたら案の定、事件の後に自殺者が出ました。「悪魔の嵐」が去ってもそれで終わりじゃない、爪痕は深く残っているんだということがわかります。

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