日露戰爭記録(1905年、日本)
この映画は、「フィルムは記録する」で観ました。
https://filmisadocument.jp/films/view/30
冒頭の石碑を解読してみました。
【碑文】
明治三十八年一月二日日露兩
軍ノ委員此ノ家ニ於テ旅順口
開城規約ヲ設定シ越エテ五日
我攻囲軍司令官乃木大將露國
關東軍司令官ステッセリ中将ト
會見セリ
陸軍大將男爵中村覺碑名ヲ書
ス
大正五年十月
満洲戦績保存會
【現代語訳】
明治38年(1905年)1月2日、日露両軍の委員がこの家において旅順港開城の規約を定め、5日に我が国の攻囲軍司令官・乃木希典大将がロシア帝国関東軍司令官ステッセル中将と会見した。
陸軍大将男爵・中村覚(さとる)が碑文を書く。
大正5年(1916年)10月
満洲戦績保存会
この映像の製作年は1905年ですが、石碑には「大正五年(1916年)十月」とあります。まあ、冒頭の石碑は後付けでしょうかね。と思ったら、説明文には「現存の形でまとめられたのは、1920年以降と推定される」とのこと。ともあれ、こちらのページでは製作年は1905年となっていたので、それに従うことにします。
それはさておき、この乃木希典とステッセルの会見はいわゆる水師営の会見で、当ブログでは池波正太郎の短篇小説「将軍」のレビュー記事で取り上げています。
それから、後半で陸軍戸山学校が登場。ここは現在の戸山公園(東京都新宿区)であり、その公園にある陸軍戸山学校跡碑を私は読んだことがあります。
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